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あるちゅはいま日記

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落とし子ゴジラ

太平洋戦争の終結間もなく、社会主義と資本主義が対立する冷戦時代が始まった。
その代表たる米ソは核開発競争に突っ走った。
米国は最も強力だったと言われる水爆実験を南太平洋のビキニ環礁で行った。
1954年3月1日の早朝であった。
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広島に投下された原爆はTNT火薬換算で15キロトン、この水爆は4~8メガトン規模と見積もられていた。
しかし、実際はこれよりはるか上回る15メガトン、広島の1,000倍にもなる巨大核爆弾だった。
それ相応の立ち入り禁止地域を設けていたが、実験直後にはこの範囲が大幅に広げられた。
事前の規制地域のすぐ側でマグロ操業を行っていたのが第五福竜丸。
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巨大な火の玉と大爆発音の後には、粉々に砕けて空に舞い上がった珊瑚の灰が放射能汚染を伴って数時間降り続いたそうだ。
直ちに仕掛けた延縄を収容しその場を離れようとしたが作業は思うように進まず、乗組員たちは長時間白い汚染灰にさらされることとなった。
おまけにこの異変を察知した船長は米軍による秘密保持のために抹殺されるのではとの恐れから、SOSも発することなく最低速の船足で秘かに立ち去ることを選んだ。
被爆14日後に母港である焼津港についた乗組員たちは火傷で顔はどす黒くなり、頭の毛は抜け、歯ぐきからは出血をきたしていた。
急性放射線障害の症状だ。
そして、水揚げされ築地に送られたマグロ、サメからも多量の放射線が確認された。
厚生省の指示により直ちに廃棄処分、築地市場の正門近くに穴を掘って埋められたらしい。
日本の市場・流通・食卓はこの「原爆マグロ」で大混乱、こんな魚屋の看板も。
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第五福竜丸の他にも多数のマグロ漁船がこの地域に出漁していた、被爆したとみられる日本の船舶数856隻、 水揚げされたマグロは「原爆マグロ(看板には原子マグロとなっている)」と呼ばれ、 457トンが廃棄処分となった。
ただ、政府発表と言われるこの数字は怪しい、単純に計算による1隻あたりのマグロ水揚げ量がおよそ0.5トン、あまりにも少なすぎる。
検査をすり抜けた原爆マグロが食卓に登った?
そして生まれたのがこの年の年末に公開された映画「ゴジラ」、大昔生息していた生物が水爆実験の影響で環境を破壊されて地上に現れた「核の落とし子」という設定だ。
太平洋上で船舶を襲った後、東京を襲撃する。
人間の身勝手で誕生したゴジラに人間がおびえるという設定もさることながら、ゴジラが国会議事堂を破壊する場面では観客が立ち上がって拍手したそうだ。
当時の政界は造船疑獄事件などで政治に対する不信が国民の間に高まっていた、その影響だ。
築地市場が閉鎖され再開発されると、原爆マグロで汚染された土地から第二の落とし子ゴジラが誕生する事はないのだろうか...




by hanaha09 | 2018-03-01 21:07 | 田舎暮らし | Comments(0)
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