大正15年に新軽井沢ー草津温泉間が全線開通、高原列車観光に、草津温泉湯治に、またまた嬬恋各地の硫黄鉱山の鉱石運搬に、活躍を続けていた草軽電鉄だったのだが...
戦後の道路網の整備に伴いその役目がだんだん薄くなっていってしまった。
何度も廃線の危機が迫っていた。
その大きな要因となったのが昭和34年の第7号台風であった。
吾妻川の洪水により、橋梁が流失してしまった。
もともとは立派な橋梁だった。
吾妻川左岸、上州三原駅側に崩れた橋脚がまだ川の中に沈んでいる、と言われていた。
冬場になって水量が減ってきてたんであろう、今日はよく見えた。
これが崩れた橋脚に間違いはなさそうだ。
この橋梁は二度と再建はされないまま、昭和37年1月の廃線を迎えた。
草軽電鉄、怨念の橋脚だ。