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あるちゅはいま日記

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フランス革命と浅間山

キャトーズジュイエ、本日の7月14日は「パリ祭・フランス建国記念日」だ。
この日、パリに集まった飢えた民衆たちがバスティーユ牢獄を襲撃し、フランス革命の火ぶたが切って落とされた、1789年のことだ。
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これに先立つ1783年、浅間山は8月に大噴火、大量の亜硫酸ガスを成層圏まで噴き上げた。
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この亜硫酸ガスは上空で紫外線により硫酸エアロゾル(微粒子状の硫酸)となり、細かな火山灰と共に偏西風に漂い2年も3年も広範囲に日射を遮った。
北半球の農業生産は極端に落ち込んでしまった。
フランスでは小麦の値段が高騰、庶民の口にはパンが入らなくなった。
その時、フランス王朝のルイ16世の妃マリー・アントワネットは飢えた民衆に向かってこういい放ったそうだ。
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「パンがなければお菓子(ケーキ)を食べればいいのに」と。
王政に対する民衆の不満が爆発したのがフランス革命だった。
マリー・アントワネットはギロチン台に登ることになってしまう。
浅間山の大噴火がフランス革命の遠因に?というまことセンセーショナルな説を説く方もいるのだが...
実は1783年の6月にはアイスランドのラキ山が噴火を起こしている、噴火は半年以上も続いた。
この噴火での火山噴出物の総量は340億トンと推定されている。
一方、浅間山の噴出物総量は4億トン、規模は10分の1ほど。
相乗効果はあったかもしれないが、浅間山が遠因とは言いきれないところがある。
しかし、日本でも1784年夏にかけて東北地方では大飢饉が勃発、米の値段もうなぎ登り。
多くの百姓が餓死したり、一揆をおこしたり、町中では打ちこわし騒動も起きた。
この始末が付けられなかった時の老中職田沼意次が1786年に失脚した。
じわじわと真綿で締め付けるように忍び寄る災難が歴史を書き換えてしまう騒動になる。
侮ることのできない火山による自然災害だ。
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by hanaha09 | 2017-07-14 21:09 | 田舎暮らし | Comments(0)
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