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あるちゅはいま日記

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江戸時代の百姓

江戸時代に描かれるお百姓のイメージは、「苦しかった」「貧しかった」...
5公5民の割合で年貢がかけられた。
作った米の半分を納めるということになる。
この年貢を決めるのが検地、田畑の面積と収量の調査のことである。
現在の課税台帳のことである。
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そして、百姓には幕府より「禁令」がでた。
ー、麻布と木綿以外の衣服は着てはいけない。
一、男は農業、女は機織と遅くまでしなさい。
一、麦・あわ・ひえなどを食べ、米を多く食べてはいけない。
一、酒や茶を買って飲むな。
一、たばこをすうな
しかし、実際には山を切り開いて検地をされていない新田が増えたり、農業技術や治水の発達により収穫の量が増えたりした。
各藩での特産物奨励(上州の養蚕、山形の紅花、阿波の藍、紀州のミカンなどなど)により、非課税の生産物がどんどん増えた。
百姓一揆などを恐れ、各藩では増税ははるかに難しいものとなっていた。
下々の百姓の可処分所得は増えていった。
そして、百姓たちへの贅沢「禁令」は何度も出されることとなった。
つまり、この「禁令」だれも守らなかったから何度でも出されたのである。
かくして「禁令」は、
一、麻布と木綿以外の衣服を「どんどん着ていた」
一、男は農業、女は機織りとおそくまでは「仕事をしなかった」
一、麦・あわ・ひえなどを「食べず」米を多く「食べていた」
一、酒や茶を買って「飲んだ」
一、たばこを「すった」
となった。
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全国の百姓・庶民が伊勢参りにかこつけた物見遊山に出かけた。
百姓を含めた庶民階層には資本が蓄積され、それが維新の原資となり、外国に借金しなくてよかった。
日本が欧米の植民地にならなくて済んだのである、と解説されている。
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by hanaha09 | 2017-06-21 20:07 | 田舎暮らし | Comments(0)
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