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あるちゅはいま日記

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異国船牟岐浦漂着事件

1829年12月20日、漂流する異国船が発見され、やがて船は牟岐出羽島近くに碇を降ろした。
ペリーが浦賀に来航するのが1853年、それよりも24年も前に阿波藩の田舎の漁師町近くにやってきた異国船だ。
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そして、12月23日、阿波藩は幕府の異国船打払令に従い砲撃を開始、異国船は立ち去っていった。
この際に異国船の様子を探るため、漁民になりすまして偵察に出たのが阿波藩士浜口巻太だ。
浜口巻太が記した見聞録『異国船舶来話并図』やこれを解読した資料『異国船牟岐浦漂着』を地元の人の協力を得つつ翻訳を進めていったのが、日本で英会話教師をしている歴史愛好家のニック・ラッセル氏。
外国人の船乗りは長く尖った鼻をしており、敵意は持っておらず、水と薪を身ぶり手振りで所望してきたらしい。これを拒絶されると、1人は泣き出し、祈り始めたという。
船長は緋色のウールコートに、袖口は金の刺繍入り、ボタンは銀箔という服装で、非常に美しいが華美にすぎると評されている。
彼は敬意を示すためと思われるが、部下に対して帽子を脱ぐよう命じた。
彼らのほとんどはハゲ頭だったと記されている。b0126549_1785466.jpg船員は贈り物を寄越したという。
資料に描かれている絵には、ブーメランらしきものがある。
また船員の1人は浜口に向かって胸をはだけ、上半身に彫られた美しい女性のタトゥーを見せたという。
郡代、山内忠太郎は立ち去るならば水と薪を与えると申し出るが、船は動かなかった。
報告に戻った浜口の絵に描かれていた旗から船がイギリス船であるらしいことが判明すると、阿波藩はついに砲撃を開始、被弾した船は風を待って出航する旨を通知し、やがて出航した。
いったいこの異国船はなんだったんだろう。
当のラッセル氏は、『キプロス号を盗んだ男(The Man Who Stole the Cyprus)』という歴史書にたどり着いた。
1829年、英国の囚人収容所があったオーストラリアのタスマニア島ホバートからマクアリー港へ向かうキプロス号が、護送中の囚人の反乱によって乗っ取られた事件が記載されていた。
オーストラリアではすでにキプロス号が日本に漂着したという話が伝わっていた。
この本に記載されていた船の大きさやマストの高さ、船員の服装や人数、漂着した時期までがほぼ一致していた。
この船はマカオや香港に辿り着いたという確かな証拠があるらしいが、結局タスマニアに送還されたのだそうだ。
くだんの船長は乗っ取り犯人の首謀者ウィリアム・スワローであるらしい。
オーストラリア植民地時代の出来事、大変な冒険航海であったに違いない。
それにしても紳士であった英吉利人乗っ取り犯人たちだ。
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by hanaha09 | 2017-06-06 17:34 | 田舎暮らし | Comments(0)
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