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あるちゅはいま日記

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草軽電鉄ホヘ19型

草津温泉には古くから「万病に吉」として多くの湯治客が訪れてきた。
温泉の温度に加え、草津温泉の強酸性泉による殺菌作用、成分に含まれる硫酸アルミニウムによる収れん作用、皮膚の刺激作用になどにより幅広い病に効果があると信じられてきた。
その中にはハンセン氏病患者も含まれていた。
明治頃にはすでに多くの患者が一般の湯治客と一緒に温泉につかり、一緒の宿で過ごしていた。
しかし、草津町では草津の町はずれの“湯之澤” という地域にこうしたハンセン氏病患者を隔離することになり、患者たちはそれなりに苦労しながら自分たちの街を作っていった。
隔離、とはいうものの、"湯之澤"は草津町の行政区画で、住民は納税その他国民の義務を果たし、また権利を与えられていた。
多くの患者が全国から草津を目指してやってきた。
当然患者の人口は増え、その居住地も広がっていった。
そして、悲願かなって草軽電鉄が新軽井沢・草津温泉間55.5㎞全線開通したのが大正15年9月のこと。
草津を目指す患者たちにとって草軽電鉄の他の交通機関はなかった。
証言によると、草軽電鉄に “乗せてもらう” のは、非常に困難なことだったようだ。
ほとんどの患者は軽井沢から草津までを線路沿いに歩いた。
厳冬期には、行倒れた悲惨な患者の遺体が線路際にあったとも。
また、雪の中に延々と続く血痕を見て、あまりにも気の毒に思った乗務員の中には、貨物列車などを停止して便乗させる人もいたのだそうだ。
昭和に入り、患者の乗車を頑なに認めなかった草軽電鉄側に対しての抗議活動が活発、過激化、これを見かねた県警察本部が住民と草軽電鉄との仲介役を務めた。
そして草津町、群馬県を含め、
● 患者輸送用の自動車を1台、群馬県から湯之澤側に貸与する。
● 草津電鉄は、降雪のため自動車通行不能となる冬季に限り、患者専用の車両を運行する。
との協定が締結された。
この協定により誕生したのが患者専用客車ホヘ19型だ、と言っても車掌室付き貨物車を改造したもの。
提示された運行の条件は、以下のようなものだった。
● 厳冬期の11月から4月までの間、毎月1と6の付く日の深夜に一往復運転する。
● 運行は、鶴溜(つるだまり)と谷所(やとこ)とする。
● 運賃は、行き(谷所行)が5人分、帰り(軽井沢行)が10人分、とする。
ホヘ19型は厳冬期に月6回運転された。
“深夜” とは、当然終電から始発までの間、患者は一般人の目に触れる昼間は乗れなかった。
この当時の鶴溜はおよそ人里離れた山の中、駅というよりも信号場。
沓掛(現しなの鉄道中軽井沢駅)から歩いてくるしかなかった。
終着の谷所とは、終点草津温泉のひとつ手前の駅、患者は終点までも乗せてもらえることができず、草津温泉までの5㎞以上の距離を真っ暗な線路上を不自由な足で歩かざるを得なかった。
“特別列車” だからと、運賃は通常の5倍、帰りにいたっては10倍の運賃を請求されていた。
真夜中にごっとんごっとんぎーぎーと音を立て走る不気味な「カブト虫」、患者たちにとっては希望を奏でる音であったかもわからない。
ホヘ19型の資料は見当たらない。
今も草津にはいくらかの元患者たちが国立療養所「栗生楽泉園」内で生活を送っている。
ハンセン氏病の治療薬が開発され、不治の病で無くなってからもうかれこれ80年、戦前の誤った強制隔離政策の犠牲になられた人たちである。
by hanaha09 | 2017-06-01 09:59 | 田舎暮らし | Comments(0)
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