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あるちゅはいま日記

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越前三国港

三国はかって三国湊と呼ばれ、明治の中頃まで三国湊は北前船の寄港地だった。
川沿いには廻船問屋の土蔵が並び、商家や遊郭が軒を連ねていた、のだそうだ。
三国湊は九頭竜川沿岸で採れる米穀その他の物資の集散地であった。
そして、北前船の寄港地になり、多くの廻船業を営む巨商・豪商を輩出させた。
日本海沿岸での最大級の湊町となった、と言われる。
その港まで対象2年に開通したのが鉄道院三国線、三国港駅は三国駅の貨物取扱所、その後京福電鉄時代を経て今は福井市などが出資する第三セクター鉄道。
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ここが駅舎。
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駅舎の横にある展示施設と運転手の宿舎らしい、行かなかった残念。
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三国港駅に入ってくる直前にある「眼鏡橋」、開通当時のものらしい。
三国湊の代表的廻船問屋に森田家と内田家がある。
森田家は元和元年(1619)加賀藩主前田利光の藩米輸送に当たって特権を得て、幕末から明治にかけて更に大廻船問屋に発展した。
明治のはじめには森田家の北前船は三十艘を超えたのだそうだ。
明治に入って業種転換を果たしたのが「森田銀行」、その本店が今も残る。
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二階の回廊から見た銀行ん内部。
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近年まで後に合併した福井銀行三国支店として営業されていたのだそうだ。
もう一方の内田家は福井藩の御用達商人に任命され、三国湊の大廻船問屋に成長した。
その規模は、安政4年(1857)の福井藩廻米高4万4千俵中3万俵を扱ったことからもうかがえる。
窮民の救済にも大きな功績を成し遂げたそうだ。
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正面に見えるのが当時の内田本家、左には森田銀行の建物がほんの少し見える。
明治以降、大型の蒸気船の就航、鉄道の開通、また、通信の発達により、北前船による廻船業はその役目を閉じていった。
三国港の船舶出入りは減少、元録期の半年で2000艘の出入りは、夢のまた夢になり昔日の姿は消えていった。
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by hanaha09 | 2017-05-23 17:27 | 田舎暮らし | Comments(0)
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