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あるちゅはいま日記

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江戸の野菜

江戸の野菜作りは究極のリサイクル、江戸町民の糞尿は近在の農家で買い上げられ、船で運ばれ畑にまかれた。
栽培された野菜は江戸の町へ持ち込まれ消費された。
栽培の中心は、空腹を満たすことができるニンジンやダイコン、サトイモなどの根菜類。
キュウリやナスビ、トウガンなどの果菜類等は、飢饉に備えた食料として栽培が重視されていた。
葉っぱ類はどこでも野生のものが豊富だったので主要な作物には成り得なかったそうだ。
寛文年代、伊勢の商人三井高利(たかとし)が江戸に三越の前身、越後屋という呉服商を開業したり、俳人松尾芭蕉若かりし頃、砂村の中田新田の農民、松本久四郎がとてつもない野菜の栽培方法を試みた。
江戸市中から出るゴミ(江戸ゴミ)を堆積、この熱を利用して早く野菜の種 をまくことで野菜の促成栽培を考案したのだそうだ。b0126549_18334012.jpg
当時の砂村、今の砂町付近は江戸のゴミ捨て場、魚河岸から出る魚の切り落としなどのごみをも集めて堆肥を作った。
このごみの発酵熱で暖められた温床を油紙でおおって苗床にしたのだ。
初物食いの大好きな江戸っ子には大うけした、もちろん普通栽培の野菜の値段よりも高く売れた。
農家は当然儲けてうふぁうふぁ...
これが行き過ぎると幕府は困った、米を作る農家が居なくなって年貢が取れない、農民が贅沢をしすぎると身分制度まで揺るがすこととなる。
たびたび、ごみの促成栽培の禁止令が出た、たびたびということは誰も禁止令を守っていなかった、ということになる。
志演尊空神社、砂町に残るへんてこ名前の神社、ここがこの促成栽培の本拠地であったらしい。
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日本人ってのはすごいアイデアマンだったのだ。
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by hanaha09 | 2017-05-02 18:35 | 田舎暮らし | Comments(0)
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