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あるちゅはいま日記

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大笹街道?仁礼街道?

大笹街道は、北国街道福島宿(ふくじまじゅく・須坂市)を起点とし、仁礼(ここも須坂市)を経て、峰の原高原に登り、菅平高原を横断し、長野県と群馬県の県境の鳥居峠を越え、大笹(群馬県嬬恋村)へ至る街道だ。
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いつ頃開かれたかは明らかではないが、鎌倉時代には善光寺と関東を結ぶ近道の一つとして知られていたようだ。
そして、武田信玄の時代には仁礼の関守に上州の鎌原重澄等に荷駄通行を許可していることから重要な経済・戦略道路であるともうかがえる。
慶安3年(1650年)には松代、上田を経由する北国街道の宿宿との貨物争いが起きた。
幕府の裁定の結果は、大笹街道を北国街道の脇往還として認めることとなった。
その背景には、急峻な山を越すにもかかわらず、北国街道経由よりも距離が短い、宿場での荷物の継立が少なく安上り、それ以上に幕府への諸藩からの年貢米の回送、売り払いの便宜があったものと考えられる。
それだけ脇街道は商用荷物にとって非常に魅力あるルートだった。
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北信州では行き先の「大笹街道」と呼ばれ、上州ではこれも行き先の「仁礼街道」と呼ばれた。
行き先で呼ばれる同じ街道、パリ市内にあるいくつかの駅の呼び名、リヨン方面に行くときには「リヨン駅」、北方面へ行くときには「北駅」と同じ手法だ。
今の鉄道で東北へ行くときには「東北本線」、そして東北から東京へ行くときも「東北本線」だ。
江戸時代の人々の合理的でしかも柔軟な思考がうかがえる一件だ。
また、北信州で採れる菜種油も盛んに江戸へと輸送され、別名「油街道」とも呼ばれた。
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by hanaha09 | 2017-04-15 12:38 | 田舎暮らし | Comments(0)
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