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あるちゅはいま日記

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トクホン

1513年(永正10年)~ 1630年(寛永7年)、戦国時代後期から江戸時代初期にかけて活躍したちょっと変わったお医者さん。
b0126549_1855878.jpgその名は永田徳本(ながたとくほん)。
計算をしてみると亡くなった御年は118歳だ。
首から薬袋を提げ、牛の背に横になって諸国を巡り、どんな治療を行っても報酬として十八文(今のお金で500円くらい)以上の金額を受け取らなかったのだそうだ。
好んで水銀、黒鉛、辰砂の入った峻剤(強い薬)の頓服を勧めた。
「薬は毒ありて劇しきがよろし」と、各種の吐剤、下剤、発汗剤を処方した。
癩病(ハンセン病など)の治療も手がけ大風子(ダイフウシノキの種子から作った油脂)を処方、また梅毒の治療も行い辰砂(水銀化合物)を用い成功した。
徳川二代将軍秀忠が重病を患い、御典医たちの手に負えず困り果てていたとき、牛にまたがり江戸城に登城したのが徳本。
秀忠を一診するや峻剤を処方、すると忽ちに秀忠の病は雲散霧消した。
ある時は、姑との確執に疲れ切った嫁が、姑を殺す薬を調合して欲しい、さもなくば自害すると徳本に迫った、そこで徳本は、毒薬と称して粉薬を嫁に与えた。
嫁は喜んで姑の食事に毎日その粉未を混入する。
しかし日が経つにつれ、姑は嫁の優しさにすっかり打ち解けて、近所でも評判の嫁姑の仲になった。
再び徳本を訪ね、「私は何と罪深い女でしょう。あの仏様のようなお姑様を殺そうなんて。先生、どうかお母様をお助けください。」と涙ながらに訴えた。
徳本は笑って、「心配はいらぬ。そなたに渡したのは、毒ではなくて砂糖じゃ」と答えたという。
こんなこともあった。
乞われて、一服十八文の薬を与え、一目患者を見ただけでいきなり徳本が泣き出したことがあった。「なぜ、お泣きになるのですか?」病人の家族がきくと、徳本は「いまは言えない」といって、逃げるように去った。
そしてしばらくするとこの病人は死んだ。
「徳本先生は、この病人が助からないことを知っていらっしゃったのだ。でも、自分の口からはそれが言えないので、ああしてお去りになったのだ。」、と。
時は過ぎて、1928(昭和3)年のある日、医薬品販売業鈴木日本堂創立者であった鈴木由太郎は雑誌の中に永田徳本という医者の名を見つけた。
自らの経験と直感を頼りに独自の薬を調剤し、どんな薬も十八文以上は受け取らなかった永田徳本。b0126549_1927554.jpg
そんな徳本の生き方に感銘を受けた由太郎は、すぐさま「トクホン」の商標を登録し、新商品に採用した。
恩恵を意味する「徳」、痛みと炎症を溶かす「溶く」、それを解きほぐす「解く」──新しい貼り薬に、これほど相応しい名前はなかった。
今でも消炎鎮痛貼付薬は、「トクホン」か「サロンパス」だ。
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by hanaha09 | 2017-04-14 20:05 | 田舎暮らし | Comments(0)
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