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あるちゅはいま日記

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江戸の水道

当時の江戸は大湿地帯、江戸城大手門近くまでは海岸沿い、日比谷公園・皇居外苑のあたりは日比谷入江と呼ばれる浅海だった。
井戸を掘っても塩水しか出てこない。
徳川家康は天正18年(1590)江戸入府の折、城造りや町造りとともにライフラインである水道の開設にも着手した。
江戸で最初に造られたのが、小石川上水(後の神田上水)。
小石川上水は、川から小石川まで引いた水を、まず小石川の庭園の池に引き込んだ。
その池に鯉を飼うことで水質をチェック、鯉に万一のことがあれば、水門を閉じ、緊急時に備えた。
幕府は、承応元(1652)年、多摩川の水を江戸に引き入れる壮大な計画を立てた。
距離約43キロメートル、高低差約92メートル、羽村から地形を鑑み、巧みに引き回して四谷大木戸まで到達する自然流下方式による上水が完成した。
総武線の「水道橋駅」は、その水道が堀をまたぐ橋となって架かっていたことから、その地名が残っているのだ。
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市内に「上水」で引き込んだ水は、今度は石樋(せきひ)と呼ばれる石でできた水道管で、江戸の市中の地下に引き込まれる。
そして石樋から、木樋(もくひ)を使って支流とし、さらに竹でできた竹樋(たけひ)を使うことで、江戸市中にくまなく水を分配し、分配された水を「水道井戸」で受けて、これをみんなで使っていた。
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この地下水道は、なんと総延長が150km、文句なしに当時の世界一。
その井戸の管理は、各長屋ごと、あるいは各お屋敷ごとで行われていた。
江戸時代を通じてこの上水、井戸に毒を盛るような輩は一人としていなかった。
江戸社会は、それほどまでに治安の良いものであった証拠の一つだ。
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by hanaha09 | 2017-04-13 12:04 | 田舎暮らし | Comments(0)
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