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あるちゅはいま日記

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4月12日はパンの日

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嘉永6年(1853年)ペリー率いる黒船4隻(大小63門の艦載砲が装備されていた)が江戸湾にやってきた。
長年の間、争いの無い平和な生活を過ごして江戸町民にとっては驚愕の出来事であった。
っそひて、江戸湾を防備する各藩の備砲は、威力・射程距離共に、それらに遠く及ばなかった。
江戸城と江戸城下は、ペリー艦隊の脅威に、ほとんど無防備でさらされる事態となった。
そこで、時の将軍徳川家斉は「海防の大号令」を発令。
兵学者・民政家、代々の伊豆国韮山代官江川太郎左衛門(えがわ・たろうざえもん)は、後に幕閣に抜擢され品川沖に6つの台場(砲台を備えた人工島)を完成させた。b0126549_12533248.jpg
全部の台場の総工費は1千万両を超えるものだったが...
江戸湾内で実際に大砲を撃って外国船を攻撃することはあり得なかった。
当時黒船の大砲の威力はわかっており、下手に撃つと逆に全滅する公算が強かったのだ。
江戸庶民の動揺を防ぎ幕府の威信を示すためのものだった。
また、徳川幕府は、外国軍が攻めてくることを恐れ、兵糧としてパンを作らせた。
1840年に中国で勃発したアヘン戦争後のイギリス襲来に備えたものだ。
兵糧としての堅パンが見直されていたのだ。
戦場で米を炊くときの煙が格好の標的になりかねない、時間もかかっていざという戦いに間に合わなくなる、固いパンは保存性と携帯性の面ですぐれていると考えたのだ。
お台場を作ることになる江川太郎左衛門は韮山の私邸にて軍用携帯食糧として乾パンを作ってみた。
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これが日本で初めて焼かれたパンと言われている。
幸いにもこの非常食は活用されずに済んだわけだが...
明治維新後の西洋文化導入を経て、現在の日本のパン食文化につながったこの日、4月12日(本当は旧暦だったが)が「パンの日」となったとさ。
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by hanaha09 | 2017-04-12 13:08 | 田舎暮らし | Comments(0)
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