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あるちゅはいま日記

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佐渡の金銀は嬬恋村を通って江戸に運ばれたか?

上越北陸と江戸を結ぶ北国街道と中山道の裏街道が嬬恋村を通過する大笹街道(城主街道からは仁礼街道と呼んだ)だった。
江戸まではおよそ40kmほど短い経路だ。
それと荷物の中継ぎとなる宿場が少ない。
時間の短縮と経費の節減で多くの商用貨物がこの経路を使った。
参勤交代には荷物だけをこの経路で運んだとの記録もある。
当時最盛期を迎えていた佐渡金山で採れた金銀は貨幣に鋳造された後、江戸まで運び込まれた。
ひょっとすればこの金銀も経路の短い大笹街道を通ったのでは?との推測も一部ではささやかれているのだが...
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佐渡奉行所(佐渡・相川町)の御金蔵から運び出される金銀荷は、木箱に入れて封印し、対岸の出雲崎まで運んだ。
その距離は海上72㌔。
海峡を渡るのは御座船とも呼ばれる奉行船、船のまわりに幔幕が張られ、白地に紺色の葵の御紋ののぼりが舳先に、また船尾にはくれないの吹流しを立てたのだそうだ。
出雲崎からは陸路で江戸までの距離はおよそ92里(368㌔)。
出雲崎では支度のため2泊、それからの泊まりは、原則として鉢崎、高田(新潟県)野尻、屋代、小諸(長野県)、坂本、高崎(群馬県)の順で、埼玉県に入って熊谷と浦和。最終日が江戸の板橋泊まりとなる。
1日37㌔のペースで早ければ10日間かかって江戸へ着く。
享保7年、当時の記録によると銀702貫(2,632.5kg)を70箱に詰め、馬70頭で出立したのだそうだ。
これは大変だ。
こんな大行列は嬬恋村の宿場町では抱えきれない、馬のほし草だけでも大変だ。
ましてや急な山道で1頭でも立ち往生するとにっちもさっちもいかなくなる。
江戸入り前日には、板橋にて金銀の箱の荷造りをきれいにしたり、家来たちの身支度を整えたりし江戸の坂下御門に向かう。
御門前に金銀の箱を積み上げ、引き渡すとお役目終了となる。
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江戸時代に佐渡金山で産出した金銀は、金41トン、銀1780トン、銅も含めて時価にすると、およそ2000億円にのぼるとされる。
この半分ほどが佐渡から江戸へ運び込まれた。
この他に出雲崎から三国峠を越えていったルート、船で大坂から運び込まれたいう話、また、10人がかりで荷車で運んだなどという話もある。
残念ながら、金銀のお運び人が大笹街道を通って行った事はなさそうだ。
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by hanaha09 | 2017-03-24 19:08 | 田舎暮らし | Comments(0)
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