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あるちゅはいま日記

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寺子屋はすごい

天明3年のだ大土石なだれで、鎌原村およそ百戸の家々が流されたか埋もれてしまった。
昭和54年にはそのうちの一戸が発掘された。
村のはずれの観音堂の近く、間口、構造からごく普通の庶民の家と考えられている。
様々な家具、農具、調度品が見つかった。
発掘に携わった研究員も驚くべき伊万里焼の食器、ビードロ鏡、下駄などなどが発掘された。
その中に大と小の硯がある。
このお百姓さんは書きものをしていた、書ければ読むこともできた、と想像されるのだ。

江戸時代の人々の識字率は非常に高かった、と考えられている。
・江戸  (1850年):70~86%
・イギリス(1837年):20~25%
・フランス(1793年):1.4%(初等教育は義務教育で無料)
・モスクワ(1920年):20%
との資料がある、欧米諸国と比べても格段の違いが見て取れる。
この違いは江戸時代に開かれていた寺子屋が大きな役目を果たしていたといわれている。
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江戸時代の庶民教育を支えていた寺子屋は、天保期(1830〜)になると爆発的に増加し、最盛期には1万5000以上も存在したといわれている。
寺子屋の師匠は、現役の村役人や、僧侶、神官、医師、町人など、本職の仕事をする傍らで子供達を指導していた。
本職の仕事に対しても尊敬の念が沸いてくるような人ばかりで、周りの大人達からも尊敬されている人達だった。
現在の教師とはちょっと違うような...
寺子屋で教える内容は、生きていく上で必要な実用的知識が中心、貧しい中での日常生活や将来の仕事に直結するため「生きていく、集団を存続させるために」ということが最大の目的となっていた。
受験のための詰め込みとはちょっと違うような...
寺子屋ではいつやって来て習い事をしても、いつ終わりにしても良かった。
習いごとは一人ひとりの適性、目的により違った、師匠と生徒(寺子といった)のマンツーマンシステムだった。
今の教室のようなみんな右へ倣え、落ちこぼれの無いように、なんてのとはちょっと違うような...
師匠には野菜やその他の付け届けなどのみ、授業料なんてのはなかった。
しかし、おろそかに教えたりすると、子供たちは集まらなくなる、常に人々に尊敬される師匠でなくてはならなかった。
現代の教員免許さえ得られればなることのできる職業教師とはちょっと違うような...
子供たちは自由闊達に学んでいたのであった。
もう一つ、百姓の子供たちも寺子屋にせっせと通った。
「百姓往来」という教科書もできていた。
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農業の道具、新田開発・検地、水害やひでりなどの災害の際の手当て、検見・貢納、肥料、領主が巡見に来たときの百姓の心得、家屋の作作、農民の常食などが書かれている。
また、算盤も学んだといわれている、不当な年貢を取られないように一生懸命に年貢の計算をする必要があったそうだ。
なんともすごいの一言。
浅間山麓の山の中にもこの寺子屋のような教育システムがあったに間違いない。
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by hanaha09 | 2017-03-19 10:30 | 田舎暮らし | Comments(0)
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