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あるちゅはいま日記

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東京大空襲

閑なのでまた映画を見た。
「We Were Soldiers」と題したベトナム戦争映画だ。
ベトナム戦争序盤の米軍と北ベトナム政府軍の接近戦を生々しく描いたものだ。
その中に米空軍による誤爆で米兵が焼夷弾で負傷する場面があった。
この負傷兵の両足を持って移動させようとすると足の部分の皮がずるっと向ける場面があった。
今から72年前の3月10日午前0時頃に東京の下町いっぱいに焼夷弾が投下された。
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サイパン、グアム、テニアン島のマリアナ諸島から325機のB-29爆撃機が出撃した。
命中精度を高めるため、上空2~3000メートルの低空爆撃だった。
各機は自衛武装の機関銃や弾薬の多くを降ろし、目いっぱいの焼夷弾を搭載していた。
米軍の投下した焼夷弾は集束焼夷弾E46 (M69) を中心とする油脂焼夷弾、黄燐焼夷弾やエレクトロン焼夷弾、ゼリー状のガソリンを約50センチメートルの筒状の容器に詰めたナパーム弾などであった。
この空襲での爆弾の投下弾量は38万1300発、1783トンにも上った。
計算によると1平方メートル当たり焼夷弾3発となるそうだ。
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焼夷弾は木造家屋の屋根を突き破り、家の中で燃え広がった。
燃え上がった火の手は3月の空っ風で瞬く間に広がっていった、江戸の大火と同じだ。
火の粉が着かなくても衣類や髪の毛が燃え上がったとも言われている、焼夷弾の油脂、ガソリン、黄燐、マグネシウムが直接触れたためのようだ。
また、火の勢いで酸素欠乏によるもしくは焼夷弾の反応ガスでの窒息者も数多くいたという。
この空襲による被害地区は関東大震災による被害地区とほぼ一致するそうだ。
米軍関係者によりすべて計算尽くされた民間人をも巻き込む想定の無差別攻撃であった。
この日、江東区、墨田区、台東区、中央区、港区等の人口集中地区が地獄図絵そのものとなった。
犠牲者は8万人とも10万人とも言われている、負傷者、遭難者は数えきれないだろう。
この米軍の「ミーティングハウス2号作戦」司令官、カーチス・ルメイ少将は戦後こう語っている。
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「当時日本人を殺すことについてたいして悩みはしなかった。私が頭を悩ませていたのは戦争を終わらせることだった」「軍人は誰でも自分の行為の道徳的側面を多少は考えるものだ。だが、戦争は全て道徳に反するものなのだ」
その後大将となったカーチス・ルメイは、日本国より勲一等旭日大綬章を授かっている、自衛隊の創設に協力されたそうだ。
勲一等の授与は天皇が直接手渡す“親授”が通例であるが、昭和天皇は親授しなかった。
今もよく似た無差別攻撃は世界のどこかで繰り返されている。
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by hanaha09 | 2017-03-11 11:57 | 田舎暮らし | Comments(0)
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