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あるちゅはいま日記

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スエンソンの見た日本

1866年8月(慶応2年7月)、フランス海軍の一員として横浜に到着したのが、エドゥアルド・スエンソン。b0126549_19344586.jpg
1842年コペンハーゲンで生まれとあるので、年の齢は24歳。
なんの目的でやってきたのかはよくわからないが、この年の秋には朝鮮の江華島攻撃に参加し、負傷している。
江華島攻撃とは、朝鮮によるフランス人宣教師の虐殺事件の報復としてフランス軍艦7隻総兵力1000人で朝鮮の江華島を攻撃・占領するという事件を起こしたものだ。
フランス軍はその後敗退、スエンソンも1年ほどの滞在で日本を離れた。
この青い眼の青年将校が日本をこう語っている。
「地味を肥やすために糞を尿に溶かしたものを用いるのだが、このどろどろの液体は山腹に掘られた穴に貯蔵され、それがすぐに腐敗してえもいわれぬアンモニアの香水の悪臭を放つのである」
「ときどき、町から田畑に送られる液体の肥料を入れたおおいのない桶を運ぶ運搬人が列をなしてとおったり、いかに貴重だとはいえ『危険物』といえる例のものを積んだ馬が列をなしてとおったりすることは、まったくいやなものだ」
幕末期の少し前のパリでは夜に使ったおまるの中身を窓から通りに投げ捨てた、なんて話もある。
彼には、強烈な臭いよりも自分身の糞尿が肥やしとなり、野菜が育ち、それを口にする、この究極の江戸エコリサイクルシステムが相容れられなかったに違いない。
また、江戸の銭湯風景にもこんな記述が。b0126549_19364130.jpg
「日本人の清潔好きはオランダ人よりはるかに発達していて、これは家屋だけではなく、人物一般についてもいえるのである。仕事が終わる と公衆浴場に行かないと一日が終わらない。公衆浴場で何時間も湯を浴び、下着を洗って、おしゃべりの欲求も満足させる。
男女の浴槽は、麻縄が境界線として使われているが、男女を隔てるのに衝立はない。男も女もおたがいの視線にさらされているが、恥らっ たり抵抗を感じたりすることなど少しもない。西洋人から見た場合、女性の慎み深さを欠いている具合は並大抵ではない。とはいえ、それ は本当に倫理的な意味での不道徳というより、むしろごく自然な稚拙さによる、自然から与えられたものを隠す理由が何もないからなので あるのだろう。
私見では、男女の混浴が慎み深さを欠いているという非難があるなら、むしろ、それら裸体の光景を避けるかわりにしげしげと見に通って 行き、野卑な視線で眺めては、これはみだらだ、叱責すべきだと恥知らずにも非難している外国人の方に向けられるべきであると思う 」
やはり、のぞき見に行ったのはスケベな外国人だった。
スエンソンは4年後にオランダの電信会社の責任者として再び日本にやってくる。
長崎・上海間、長崎・ウラジオストク間の海底ケーブルを開通させ、ヨーロッパと日本を結ぶ通信網の先駆けとなった。
明治政府はスエンセンの功績を称え、1883年に勲三等旭日中綬章、1891年には勲二等瑞宝章を贈っている。
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by hanaha09 | 2017-03-09 19:39 | 田舎暮らし | Comments(0)
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