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あるちゅはいま日記

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明暦之大火

「火事と喧嘩は江戸の花」という言葉が示す通り、大江戸では大火が頻繁に発生した。
記録では大火と呼ばれるものが49回、大阪の6回、京都の9回に比べると回数だけでも突出している。
広大な市街地が繰り返し焼き払われた都市は世界でも例が無いそうだ。
冬から春にかけて頻発した。
江戸独特の気象条件があった、低気圧の通過に伴う乾燥した春先の強い南風がしばしば大火の原因となった。
特に大火が多かったのが新暦でいう3月だ。
明暦3年(1657年)に発生した史上最大の大火「明暦之大火」、3月2日のことだった。
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本郷、小石川、麹町の三か所から出火し、江戸の大半が被災、江戸城天守閣まで焼失してしまった。
死者の数は3万人、いや10万人を超えるとも言われている。
この大火の原因には様々な憶測が流れた。
まずはこの大火「振袖火事」とも呼ばれている。
本郷の本妙寺に墓参に出かけた質屋の娘が出合い頭の美少年に恋い焦がれた。
恋の悩みで寝込んでしまい、両親は心配のあまり美少年の着ていたのとおんなじ柄の振袖を作ってやった。
この振袖をかき抱いて美少年の面影を思い焦がれるうちに病に倒れ命を散らしてしまった。
本郷にあった本妙寺での葬礼の日にはせめてもの供養と亡骸にこの振袖をかけてやったそうなのだ。
この振袖は寺男によって転売されたが、これを手にした上野の町娘も病に倒れ、亡骸と共にまた本妙寺に運び込まれた。
住職は因縁を感じ、この振袖を護摩焚きの火に投じ読経を始めたところ火のついた振袖は高く舞いあがり、お寺の軒先に舞い落ち火を移した、ということだ、これが大火の源となった。
後に小泉八雲も小説の題材としたが、どうも作り話だ。
そして、出てきたのが幕府の放火説。
当時の江戸は急速な人口増加に伴い、住宅の過密化、衛生環境の悪化、治安の悪化で都市機能には限界が見えてきていた。
大都市改造には住民たちの説得、補償が大問題となる。
いっそ、焼け野原にしてしまえば都市改造には大義名分が立つ。
春先の気象条件がそろった日を選んだのは幕府役人の差し金とも考えられる。
いずれにしても、大火が発生すると再建に莫大な費用と資材を必要とする。
江戸だけにはとどまらず全国各地の物価や景気に影響を与える。
大火は江戸時代の経済成長を支える一つの役割を果たしたも言えるのだそうだ。
そして、江戸の街には延焼を防ぐための広場、広小路が設けられ、防火体制、消防体制が整えられていった。
戦いの無い江戸時代には天守閣も必要としなかったのだろうか、江戸城天守閣も再建されることは無かった。
そういえば、埼玉でも巨大配送センターの火事もあったねぇ、ネット通販のせいで宅配の運ちゃんがネを上げているところなのだそうだ。
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by hanaha09 | 2017-03-02 23:39 | 田舎暮らし | Comments(0)
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