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あるちゅはいま日記

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チャスラフスカ

この歳になっても舌がもつれるような彼女の名前はすらすら言える。
1964年に開催された東京オリンピック、「東京五輪の名花」と呼ばれたチェコスロバキヤ代表の女子体操選手チャスラフスカ選手だ。
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「だいたい外国人の女性なんて映画以外で見たことがなかったから、当時普及し始めていたテレビで金髪の女子選手が動くのを見ているだけでみんなもうドキドキ。ましてやレオタード姿なんて、どこを見ていいのかわからないぐらいでした(笑)」と彼女の魅力を語るスポーツジャーナリスト、50余年前の日本の男たちの眼をくぎ付けにした。
東京五輪の金メダルに続き4年後のメキシコ大会でも優勝、体操界の女王として君臨する。
しかし、その人生は東欧の激変に翻弄されていった。
当時のチェコスロバキアは旧ソ連側陣営の社会主義国、チャスラフスカも当時の改革・自由化路線に賛同し、それを推し進める『二千語宣言』に署名した。
その後旧ソ連はチェコスロバキアに軍事侵攻、旧体制に戻されたチェコスロバキア政府は、超有名人のチャスラフスカに自由化路線の署名撤回を迫ったのだ。
しかし彼女はこれを断固と拒否。
政府は体操界追放など、さまざまな弾圧を彼女に加え、苦難の時代は約20年も続いた。
その後、ベルリンの壁が崩れ去ったこともあり共産党政権は崩壊、民主化政府の下では彼女は革命の英雄とたたえられ、要職にも就いた。
しかし、彼女の身には思わぬ不幸が襲い掛かった、実の息子が父親を殺害するという悲劇があり10余年にわたり心労で外界との接触を断ってしまった。
そんな中、日本の元五輪選手たちがチェコ政府を説得、ほぼ軟禁状態の彼女を来日させたこともあったし、彼女の身を案じプラハを訪ねる日本人も多かったのだそうだ。
心の病から立ち直ったチャスラフスカは東日本大震災の半年後、16年ぶりに来日。
翌年には被災地岩手県の中学生26人をチェコに招いたりしている。
その前の年には秋の叙勲で旭日中授章を授与された。
白色の勲章を首にかけ、「共産党政権下、日本からもらった多くの手紙が心の支えになった。大好きな国から表彰されて本当にうれしい」と彼女の弁。
50余年に及ぶ絆のきっかけとなった東京五輪。
「当時の日本はまだ貧しかったし、運営も第2次大戦の経験者が中心でした。それだけに皆、必死だったし、ホスピタリティも懸命だった。だから外国の選手にもそれが通じた。『おもてなし』なんていう軽いものではなかったと思いますよ」
このチャスラフスカ選手、亡くなられたのは昨年の8月の終わり。
盗作エンブレムや、誘致裏金、新国立競技場問題、開催会場があっちへ行ったりこっちに来たり、経費負担の押し付け合いであちこちが揺れる2020年の東京オリンピック。
なんだか...
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by hanaha09 | 2017-03-01 18:33 | 田舎暮らし | Comments(0)
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