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あるちゅはいま日記

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海難1890

昼間からいっぱい傾けて映画を見た。
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「特定非営利活動法人 エルトゥールルが世界を救う」ホームページより
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"今から120年前の1890年9月16日、その事件は起こった。
オスマン・パシャを団長とするトルコの使節団を乗せた軍艦エルトゥールル号が、明治天皇への謁見を終えて帰国する途中、和歌山県串本町大島の沖合で座礁、沈没。乗組員618名全員が、暴風吹き荒れる夜の海に投げ出される日本海難史最大の事故でした。
この海難事故に際し、真っ先に救出活動に当たったのが、貧しい漁村に暮らす名もなき海の男たち、女たち。
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生存者は69名。あの状況下にあって、まさに奇跡の救出劇であったのです。村人は衰弱し体温が低下するトルコ人遭難者を裸で暖め、自分たちの日々の食糧にも乏しい中、体力回復にと村中の食糧を提供。収容された遺体は、棺に納められ、丁重に埋葬されました。
トルコへ帰国した69名は、心温まる日本での救出劇を人々に語り継ぎ、やがて伝説となりました。トルコ共和国は、この物語を小学校の教科書に載せ、後世に語り続け、それ故、すべてのトルコ人が『エルトゥールル』のことを深く心に刻み、遠く離れたアジアの果て、極東の日本に思いを馳せてくれているのです。
『日本人がトルコ人を助けてくれた。この恩を我々は忘れない・・・』"
そして、第二幕。
"1985年3月17日。イラン・イラク戦争の中、イラクのフセイン大統領が48時間後以降にイラン上空を飛ぶ飛行機をすべて攻撃すると宣言しました。
イランに滞在していた外国人は、こぞって国外脱出を図りましたが、日本人だけは取り残されていました。それは、各国の航空会社が自国民を優先して搭乗させる為で、テヘランに乗り入れ便を持たない日本は脱出に不利な状況であったからです。日本政府は安全の確保が難しいと専用機の派遣に踏み切ることができません。まさに、絶対絶命の危機でした。
その時、日本人の救出に尽力してくれたのがトルコでした。専用機を2機飛ばし、自国民よりも日本人を優先して搭乗させてくれたのです。"
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"『何故、トルコ人は日本人を助けてくれたのだろう?』
記者の質問にトルコのオザル首相は、当たり前だと言う顔で答えています。
「95年前、日本がトルコ人を助けてくれた。だから、今回、トルコが日本人を助けるのは当たり前のことだ。トルコ人はみんなそう思っている」と・・・・"
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映画は史実に基づき丁寧に描かれていた。
第二幕のイランからの法人脱出の際に活躍する日本人学校のかわゆい先生、在イラン駐在のイケメントルコ大使館員、先に出て来る串本で救助にあたった村のお姉さんハルとエルトゥールル号のムスタファ大尉が同じ俳優。
最後の別れ際に「どこかであったような気がする?」「私も?」なんて会話には少し笑わされたが...
江戸末期の開国から長くはたっていない時代、貧しい海辺の村人たちの見知らぬ外国人救助の勇気と、悲嘆にくれる生存者をはるか遠くの祖国まで送り届けた当時の海軍の決定。
そして、95年後には周りの懸念にもかかわらず救難機をイランに差し向けたトルコ首相の”あたり前”なこと。
日土両国の名もない人々の真心が国を動かした出来事だった。
どこかのトップ同士のゴルフ外交ではありえない...様な話だ。
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by hanaha09 | 2017-02-15 23:22 | 田舎暮らし | Comments(0)
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