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あるちゅはいま日記

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江戸の食事

江戸の街では元禄年間になると、夜の灯りとしての行灯(あんどん)が普及していった。
そして、北信州の信濃川沿岸では菜種が広く栽培された。
この菜種を搾り取って菜種油ができた、これを一手に扱っていたのが信州須坂の豪商、田中本家。
この菜種油は信州から嬬恋の大笹街道を通って、高崎へ。
そして船に乗せられ江戸の町まで下っていった。
江戸では行灯用の「灯油(ともしあぶら)」と呼ばれて市中で売られた。
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ずいぶん値段も高かったようだし、行灯の明るさは現在の豆電球ほど。
でも江戸っ子たちは夜の時間を手に入れることができるようになった。
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これまで江戸町民のほとんどは朝夕2食(午前八時頃に朝食、夕ご飯は午後二時から四時ごろに食べたようだ)の食事が普通だった。
灯りの普及とともに活動時間が増えて腹も減った。
日が暮れた夜にも行灯の下での食事が可能となった。
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かくして、一日3食の食事回数が広まり、今まで普通に行われてきたのである。
菜種油は馬の背に乗せられ信州からの峠を越えてきた、馬を引いた馬子たちは大笹村、鎌原村その近辺の百姓だった。
江戸の街の食習慣まで変えてしまう要因の片棒を担いだのも嬬恋村の先達だったのだ。
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by hanaha09 | 2017-02-07 20:21 | 田舎暮らし | Comments(0)
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