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あるちゅはいま日記

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松根油

太平洋戦争末期、航空機用ガソリンの欠乏に直面した日本は、一大国家プロジェクトとして石油の代替燃料生産が決定された。
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「200本の松で航空機が1時間飛ぶことができる」、各地の町村長に対し「航空機決戦緊急需要に対処する為、創業日数三十日をめどとし全乾溜機能を遺憾なく発揮せしめ、生産倍化に格段の御配慮相成度」と供出目標の達成を厳しく督励した。
女性や学徒、高齢者などがこの作業にあたった。
鍬やスコップなどを用いた手堀り、半日かけてようやく一つの松の根を掘り起こすという作業であった。
掘り出された松の根っこは細かく割られて、百貫釜と呼ばれた乾溜装置に放り込まれ松根油が搾り取られた。
目標とされた松根油の生産には大量の乾溜装置が必要となり、昭和20年半ばまでに37,000個の乾溜装置が作られたという。
戦後に代用梵鐘として寺院に設置された不要となった百貫窯なのだそうだ。
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終戦直後には月産50,000バレルの生産量を記録したと占領軍の記録にある。
だが、終戦時に航空機燃料として精製されていた松根油はごく少量だったといわれている。
そして、この松根油が実際に航空機に使用されたという記録は残っていない。
「米陸軍航空軍史」には、
「日本軍は、1945年の初めには,こっけいな松根油計画をふくめ、人造石油工業を間に合わせに造るという絶望的な努力を行ったが、それはあまりにも遅すぎ、またあまりにも少なすぎた」。 
赤松の生える嬬恋村、民家の庭先には供出用の松の根っこが転がっていたという。
そして乾溜釜も稼働していたと村の古老は語る。
一体、この戦争って何だったんだろう。



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by hanaha09 | 2016-04-17 18:03 | 田舎暮らし | Comments(0)
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