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あるちゅはいま日記

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女の意和戸(あまのいわと)

暖かいのだが空はどんより、なんとなく陰気。
山道は凍土が溶け出し泥沼状態、最もいやな時期に差し掛かった。
こんな時にはげす話を...
昔々の話、天照大神は建速須佐之男命の乱暴狼藉を見かねて天岩戸に引き篭ってしまった。
高天原(たかまがはら:国の政治の場所で今で言う国会や首都)も葦原中国(あしはらのなかつくに:日本の国土のこと)も闇となり、さまざまな禍(まが)が発生した。
そこで、八百万の神々が天の安河の川原に集まり、対応を相談した。
天宇受賣命(あめのうずめ)が岩戸の前に桶を伏せて踏み鳴らし、神憑(かみがかり)りして胸をさらけ出し、裳(よくわからんが十二単のプリーツスカートに腰ひもなどが着いたようなもの)の紐を陰部までおし下げて踊った。
何事かと岩の扉を開けて出てきた天照大神によって高天原も葦原中国も明るくなったというめでたしめでたしの話。
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江戸時代にも女の意和戸(あまのいわと)が居た。
『大坂正月十日戎には、難波官倉の辺の野辺に莚囲ひの小屋を造り中央に床を置き、床上又胡床(椅子)等を置き、若き女に紅粉をさせ、華なる古桂を着せ古の胡床に腰を掛けさせ、女の背腰以下板壁にて木戸外より女の背を見せ、髪飾多く桂の裾を右の板壁に掛け、美女を描きて招牌(看板)を木戸の上にかけ、八文ばかりの銭をとり、女の衣服の裾を開き、玉門を顕はし竹筒を以てこれを吹く時、腰を左右にふる。衆人の中これを吹いて、笑わざる者は賞を出す。』
嘉永六年刊行 喜多村信節著 『守貞漫稿』より
そういえばちょっと昔の若き頃の大阪十三はノーパン喫茶が全盛だった。
見えるか見えないかひたすら待った、ちっとも見えない時がほとんどだった。
一杯百円か2百円だったコーヒーが5百円以上だった。
なんだったんだろうねぇ。
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by hanaha09 | 2016-03-06 18:58 | 田舎暮らし | Comments(0)
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