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あるちゅはいま日記

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二宮金次郎像

昔の小学校には必ずあった銅像、二宮金次郎。
薪を背負って本を読みながら前かがみに歩く姿だ。b0126549_126339.jpg金次郎は子供の頃、わらじを編んで金を稼ぎ、父のために酒を買った。
両親の死後、叔父の家にて暮らしていた頃、寝る間も惜しんで読書をした。
もちろん、薪を運びながらも読書を続けた。
漫画本ではない、二宮金次郎像の本を像に登ってみたガキが居る、漢字ばかり書かれた本だったそうだ。
明治37年~大正・昭和16年までの尋常小学校と、国民学校の昭和20年まで一貫して「修身」という教科で二宮金次郎は利用された。
「勤勉」「孝行」「滅私奉公」、天皇や国家に対する「忠君」「愛国」「報国」とともに国民の理想像として教育がなされた。
ところが、現代の世の中では...
「歩いて本を読むのは危険」「児童の教育方針にそぐわない」「ケータイみながら歩きを推奨することにもなりとんでもない話だ」ということになってきてるのだそうだ。
小学校の校庭から撤去される二宮金次郎像も少なくはないそうだ。
ところが別説もある。
金次郎はなぜ薪を背負って歩いたのか?
山で拾った薪を背負って夜もにぎわう城下町の小田原の町で売ってたらしい。
当時のエネルギー源はもっぱら薪・炭、非常に換金率の高い商品だった。
青年になった金次郎は二束三文で山を買った、この山から大量に薪を切り出した。
そして、設けた金を村人たち目当ての金融資金とした。
倍々に設けた資金は手広く「二宮金次郎ファンド」ともいうべき規模に成長した。
その才を認められて小田原藩重臣服部家の財政立て直しを頼まれた。
金次郎は女中を全員集め「ススを1升持ってきたら2文やる」と指示した。
女中は意味がわからなかったが、「2文もらえるなら」と一生懸命お釜を磨いて、そのススを金次郎のところに持っていった。
ピカピカの釜の燃料効率は3割もアップ、薪代の倹約を果たしたのだそうだ。
二宮金次郎は「勤勉」「孝行」「滅私奉公」を超えた経済イノベーションの鏡でもあった。
どおりで戦後に発行された1円札にはも金次郎の肖像があった。
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by hanaha09 | 2016-03-05 16:32 | 田舎暮らし | Comments(0)
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