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あるちゅはいま日記

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ひなまつり

江戸時代には五節句の一つ3月3日にあたる上巳の節句(桃の節句)は、お休みの日だった。
明治に入って太陽暦の採用によって節句の休みはなくなった、戦後に5月の節句は子供の日となって蘇ったが桃の節句はいまだ平日のままだ。
そもそもの平安時代に始まったのは、3月最初の巳(み)の日を忌日として川や海で禊をして厄を払う行事であったのだそうだ。
この禊は、当然本人が水に浸からなくては何にもならない。
だが、まだ寒い3月に水につかるのは冷たい。
でも、禊をしないで厄が降りかかるのも困る。
そこで、紙で作った人形で体を撫でて、身の穢れや災いを人形に移し、それを海や川に流して禊に代えることを考えた。
天気が良ければ遠足気分で川や海べりに、天気が悪ければ使用人に行かせた。
平安貴族の知恵と言うか、わがままと言うか、たちまちひな祭りが人気行事となったようだ。
ひな祭りが現在の形に近づくのは、江戸時代。
徳川家は天皇一族と親戚関係になりたかった。
徳川家康の孫、徳川二代将軍徳川秀忠の娘、中宮東福門院和子様は後水尾天皇へ入内し、興子(おきこ)内親王をもうけた。
興子内親王7歳のおり、ひな人形が作られひな祭りが盛大に行われた。
そのかいあってか、興子内新王は後にに即位、明正天皇が誕生した。
この故事をもって江戸では上位である左側に女びなを飾る習慣が定着したのだそうだ。
この時より、娘達を思う親の心の現れとしてひなまつりが盛んになったとも言われている。
現代の今もこんな思いが親にも子供にも引き継がれ、そして健やかな女性に育ってもらいたいものだ。
子育てに失敗した爺さんの独り言だ。
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信州上田の造り酒屋に伝わる江戸中期のひな飾りだ。
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by hanaha09 | 2016-03-03 22:20 | 田舎暮らし | Comments(0)
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