ブログトップ

あるちゅはいま日記

hanaha09.exblog.jp

謎の浮世絵師

明治末期の1910年の事、ドイツの美術研究家ユリウス・クルトによって、レンブラント、ベラスケスと並ぶ世界三大肖像画家のひとりとして江戸の浮世絵師「東洲斎写楽」が絶賛され、海外での評価も特別なものとなった。b0126549_17325820.jpg
シカゴ美術家所蔵「三代目大谷鬼次の奴江戸兵衛」と題された「大首絵」と呼ばれるデフォルメを駆使したダイナミックな歌舞伎の役者絵だ。
「江戸兵衛」が四条河原で奴一平を襲い金子を奪うシーン、隙あらば奪い取ろうと突き出す手に、1点を凝視したまなざし、口をへの字に曲げた容貌、緊張感が嫌でも伝わってくる迫真の画だ。
背景には雲母の粉を摺りつける雲母摺(きらずり)技法を駆使した豪華版だ。
驚くことに写楽は、寛政6年(1794年)5月から翌年の寛政7年(1795年)3月にかけての約10か月の期間内に、145点余の作品を出版した、単純に計算すると2日に1作品の出版になる。
個性的な作品は強烈な印象を与えた当初は注目を浴びた、が、売れなかった。
大田南畝(蜀山人)が書き記した『浮世絵類考』には、「写楽 これまた歌舞伎役者の似顔をうつせしがあまりに真を画かんとて、あらぬさまにかきしかバ、長く世に行われず、一両年にして止ム」とある。
b0126549_1819555.jpg当時、最高の女形といわれていた瀬川菊之丞、色気も何もない、まるで「ブス」の代表のように描かれている。
役者絵は歌舞伎の初公演を前に出版されるブロマイド写真のようなもの。
これでは売れないし、巷のファンも役者も怒った。
版元の蔦屋重三郎は、空気を呼んだのか作風にいろいろ注文を出したような跡がうかがえる。
しかし、それはありきたりの役者絵に変貌し、百四十数点にて出版は終了、わずか10か月で「東洲斎写楽」は忽然と姿を消し、二度と世の中には出てこなかった。
謎の浮世絵師と呼ばれる所以がここにある。

ちょっとしんどくなった。
明日はこの謎にもう少し迫ってみよう。
[PR]
by hanaha09 | 2016-02-24 17:13 | 田舎暮らし | Comments(0)
<< 謎の浮世絵師(つづき) 昨日は忍者の日だった >>