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あるちゅはいま日記

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西窪城探検記

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江戸時代に書かれた『上毛古城記』、『上毛故城壘記』には、嬬恋村吾妻川左岸に西窪城の在ったことが記されている。
そして、『嬬恋村誌』にも「西窪発電所の西どなりの小高い山で、送水路鉄管の南にある..」、と。
場所はおなじみのスーパー「サンエイ」の裏手にある西窪神社、この裏側の山らしい。
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どんな城跡か?
世の中にはすごい人が多い。
こんな復元図が出来上がってネットに出ていた、ちょっと拝借。
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車道に沿ってひょこひょこ歩いて登って行った。
振り返ってみると吾妻川を挟んで鎌原城のあった断崖が見える(青い屋根がスーパーサンエイ)。
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ここに居城した西窪氏は、「下屋家文書」によれば貞治元年(1362)の譲状の中に「さいくほのや平太郎十郎」とあり、
下屋氏は一族の西窪氏にこの地を譲ったことが記されている。
この下屋氏とは北信濃の名族海野氏の後裔で、天仁元年の浅間山噴火の後の荒廃地にやってきて、修験道の道を説きながら嬬恋開拓を進めてきた下屋将監の事。
戦国時代の西窪氏は、同じく下屋将監の孫である鎌原城主の鎌原氏を嬬恋の盟主と仰ぎ、西窪城は鎌原城の支城でもあったようだ。
そして、しばらく行くと「嬬恋かるた」。
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この先を鉄塔方向へ行くと何やら堀切のような地形。
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西窪発電所の送水管に行きつく。
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ここがどうも外堀の跡。
ここから南方向を眺めるとなにやら土塁のような跡。
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この先には本丸跡があるに違いない、が、この笹薮を漕いで立ち入る勇気はない。
送水管は発電所までこんな崖を下って行ってるのだ。
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「年寄りは危うきに近寄らず」、と、ここで退却。
この西窪城、戦国期に築城され、江戸時代にまで至ったことは確かであるがその時期はよく分かっていない。
今回の西窪城址探検もわかったようでよくわからなかった。
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by hanaha09 | 2016-01-23 17:50 | 田舎暮らし | Comments(0)
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