寝正月もそろそろ終わり。
江戸庶民の多くが同じく寝正月を決め込んだのだそうだ。
だが、お侍さんはそうはいかなかった、元日は未明より起き出し正装、その年の恵方を拝し、神仏を拝し、親に挨拶、家族で屠蘇を祝う間も、使用人が次々と来て新年の賀詞を述べ、本人もまた御殿へ出仕し、祝詞を奉らないといけない。
大名諸侯も徳川将軍への拝賀の礼、つまり新年のご挨拶に出かけなければならない。
一般に「元旦登城」と呼ばれていた。
260を超える全国諸侯が大名行列を従え江戸城にやってくる。
この一大パレードを一目見ようと、やって来るのは寝るのにも飽きた大江戸町民。
大勢で出かけ格式を尊ぶのが武士の世界、だが徳川将軍に謁見できるのは大名とその側近くらい。
ほとんどのお供の者は「下馬所」まで、そこの広場でずっと殿様のお帰りを待ちながら暇をつぶすのであった。
主人を送った後は気楽な時間、弁当を食べる者や寝転がる者、賭け事のような遊びをしている様子の絵も残っている。
子供から、お坊さんから、女連れ、地方からやってきたような見物人がいっぱい。
こんな人たちを相手に集まってきた二八蕎麦屋、何やら酒肴を備えたような青空屋台、1升樽を運んでる様子もある、そしてなぜか植木を持ってやってきた棒手振りも居る。
まるでお正月の大イベントだ。
解説にあるように、日本のサミットとともいうべきこの催しに警備の者が一人と描かれていない。
なんとも平和な江戸時代であったに違いない。