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あるちゅはいま日記

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参勤交代制度のはじまり

参勤交代とは、江戸時代に諸大名が一定の時期を限って交互に江戸に伺候し、もしくは領国に帰った制度をいう。
「伺候(しこう)」とは目上の人のご機嫌伺いをすることを意味するのだそうだ。
諸大名が江戸で伺候することを「参勤」といい、領国に赴くのを「交代」といった。
即ち諸大名が領国に就くのは他の大名の参勤と、交代で行われていたからである。
1634年(寛永11年)になって、3代将軍家光は諸代大名の妻子を江戸に移させ、翌年には御三家、外様・譜代の大名全員を江戸城の大広間に呼び出し、「武家諸法度」を発布し、参勤交代を命じた。
参勤交代を決めたいわくについては諸説芬々。
家康が幼いころに人質となった経験から大名の管理が最も容易で効果的と考えたのだとか。
大名の威厳を街道沿線の庶民に知らせるための制度とか。
諸大名の江戸在中、安逸に過ごす事で怠惰な気風に染まして幕府への反抗心を無くさせたとか。
諸大名を江戸往復の繁忙のなかに常に身を漬け、秘かに蓄えていたお金を使わせるためとか...
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津山藩の参勤交代図だ。
この後に6枚もの図(全長13.4m)に総勢が描かれている、全部で812人が描かれているのだそうだ。
道中、昼飯に一杯5百円の素うどんを食っても全員では40万円以上の経費がかかることになる。
「諸藩の国力を疲弊するだけの、害はあっても益のない制度」と諸藩が嘆いたのも事実。
しかし、江戸時代には今のように庶民から税を取り立て、それをまた、地方へ均等を図りながらバラ撒くシステムはなかった。
参勤交代は全国に散在する多くの藩が江戸を行き来する間に、旅費や経費の形で銭をバラ撒きながら歩いていたのである。
富の分散機能としてはこれにまさるシステムはない。
江戸が創り出した日本を代表する世界の文化、浮世絵の発展も参勤交代を抜きにしては語れない、のだそうだ。
参勤交代で江戸へ単身やって来た地方武士たちは、暇つぶしに、ふるさとに残した妻を瞼に浮かべながら、また郷土への手土産として、手軽で都会的雰囲気のある浮世絵をせっせ、せっせと買い求めたわけである。
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中にはこんなのも。
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彼らの購買力が浮世絵の大発展を支えた。
旅は人や文化の交流、経済の活性化に大きな役割を果たす。
こんなことまで家康、家光は頭に浮かべてたのであろうか...
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by hanaha09 | 2015-12-21 18:56 | 田舎暮らし | Comments(0)
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