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あるちゅはいま日記

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越寿三郎

須坂にはまだすごい人物が居た。越寿三郎_b0126549_21573367.jpg
明治から昭和の始めにかけて製糸業界で活躍した越寿三郎氏だ。
日本初の製糸トラストであった「東行社」が規模が大きくなり、別のトラスト「俊明社」が結成され、この代表を努めた。
最盛期には従業員が8千人を超す一大製糸企業となった。
須坂には従業員のための総合病院「俊明社病院」を開設した。
長野市内より10年も早く電話が開設された、いち早く製糸工場同士の連絡を取るためだった。
越家の電話番号は1番、自宅は会社名をとって「山丸壱番館」と呼ばれた。
明治36年には信濃電気株式会社を設立した。
製糸工場の石油ランプによる火災を防ぐためであった。
今までの水車による動力が電力に置き換えられた。
明治20年には水道が引かれた。
この前年には川や井戸に水が原因でコレラが流行、20日間も工場が休みとなった。
従業員及び工場には良質の水が必要だった。
「上高井銀行」を作った、今の十八銀行だ。
良質なまゆの購入資金を融通した。
大正15年には須坂商業学校、今の須坂商業高校を私費で設立した。
工場で働く若い女工さんには須坂小学校に通わせ義務教育の勉強を教えた。
信越窒素株式会社、信越カーバイト株式会社等々の代表を努めた。
工場の歌「須坂小唄」を中山晋平、野口雨情に頼んで作った。
♪♪須坂よいとこ 須坂の町の
   工場見せたや この繁盛
    ヤ カッタカタノタ 
     ソリャ カッタノタノタ♪♪
もうこれ以上書ききれませんね。
次回の須坂訪問の際にはぜひ訪れたい「山丸壱番館」だ。
by hanaha09 | 2015-11-16 21:59 | 田舎暮らし | Comments(0)
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