豆腐は豆が腐ったものではない。
『腐』という漢字は本来「納屋の中で肉を熟成させる」という字義から転じて、柔らかく弾力性があるものを意味するものであったらしい。
豆腐は日本人にとっては食の中心。
想い出もいっぱいある。
幼少のころには、豆腐屋が手押し車でチリンチリンと鐘を鳴らしながら売りに来た。
ブリキの一斗缶に入った豆腐をざるに入れてくれた。
値段は忘れたが、豆腐の上のぼっちんに柚子の皮が乗ったのが香りがしておいしかった。
京都の南禅寺の前の高級旅館に宿泊した際に湯豆腐をいただいた。
鍋の中で豆腐が膨らんできた、いったい何が入ってたのだろう。
申し訳なかったがおいしくなかった。
長女が生まれて豆腐をよく食べさせた。
市場で売ってた手作り豆腐だ。
冬にはめがねをかけた豆腐屋のおじさんの手が真っ赤だった。
バンコクでは家へ帰ると冷奴でシンハービールを飲んだ。
タイで市販されているのはチューブ入りのトーフ、まるでおいしくない。
富士スーパーにはちゃんと木綿豆腐、絹越し豆腐が売ってた。
どこで作ってたんだろう。
パリでも豆腐が売られているらしい。
「TOFOU」と名づけられ、匙ですくって食べるらしい。
嬬恋村にやってきて、地元で収穫された大豆を売ってたのを見つけた。
にがりを買ってきて、豆乳を作ってざる豆腐にした。
手のひらいっぱいの豆腐が出来た。
豆とにがりで400円ほどかかった。
スーパーで売ってる安売り30円豆腐はいったい何で出来てるんだろうと不思議になった。
今日は10月2日でトー、フの日。