中仙道、北国街道は参勤交代のお殿様が行き交った。
加賀百万石前田家の大名行列は藩の力を誇示すべく大変なものだった。
加賀から江戸までの距離は百十九里(約480Km)、所要日数は12泊13日というのが普通だったよう。
一日当たり十里(40km)を歩く勘定になる、ただひたすら歩く歩く。
一日歩くと用もたしたくなる。
道端には地元の百姓たちが作っトイレがあったそうだ。
特に女性用のトイレを小綺麗につくり、安心して入れるトイレづくりを目指したのだそうだ。
女性が安心して使えるようなトイレは、利用者が増えるということらしい。
百姓たちにとっては、旅人の糞尿は大切な肥料のもと。
旅人たちは、少なくとも自分たちよりうまいものを食っている。
ということは肥料としても価値が高いと百姓たちは信じたのだ。
参勤交代のお供たちにはこの用便も大変な作業であった。
旅装束の袴は今のズボンと違って、ファスナーを下げて用がすぐたせると言うものではなかった。
「小便一町、糞八町」、用をたすうちに参勤交代の行列は八町(900m)も先に進んでしまうという。
「早糞も芸のうち」、戦の無い時代のお侍さんも気楽な旅という事でもなかったようだ。