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あるちゅはいま日記

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伏龍

終戦記念日が近づいてきた。
ポッダム宣言の受諾が決定されたのが8月9日のナガサキと同日のソ連の参戦宣言の日だった。
外務省の疎開先であった軽井沢の三笠ホテルからの伝令で道路前にあった同じく疎開してきたスイス公館から連合国側に打電された。
終戦の報に接した軽井沢の在外公館では、早速連日のパーティが開かれていたそうだ。
もちろん軽井沢住民も漏れ聞く情報に安堵してた事だろう。
すでに制空権も制海権も連合国側に奪われていた終戦間近、軍部では本土決戦、敵の水際撃滅作戦が練られていた。

すでに沖縄戦線では航空機による特攻作戦が実施されていた。
対する米軍の戦士たちには大きな心の脅威になっていた。
しかし、特攻用の航空機、燃料乏しく、特攻隊員のみに余剰が出ていたのである。
そして、ひそかに特攻兵器「伏龍」が開発されていた。
伏龍_b0126549_728118.jpg
図中には「人間魚雷」との記述も見られる。
潜水具を着用した特攻隊員が棒付き爆雷で海の底から敵艦を攻撃するというまじめに考えられた兵器だ。
ゴム服に潜水兜、背中に酸素瓶2本を背負い、腹に鉛のバンド、足には鉛をしこんだワラジ、総重量は68kgにもなったという。
いったん海にもぐると自分の位置、方向はわからず設置されたロープ伝いに出陣していった。
陸上との通信は不可能で、隣の隊員との連絡手段も無く、まさに孤独な出兵であった。
爆雷は2mほどの竿の先に装着されていた、海の中では水の抵抗でやたら振り回す事も出来ない代物であった。
という事は、運よく上陸用舟艇が頭上を通過した際のみ有効なものでもあった。
だから、何人もの特攻隊員を並べておけば良いが、爆雷は次から次へ誘爆を繰り返し全滅してしまう。
潜水器具は酸素ガスを用いた循環式呼吸器であった。伏龍_b0126549_7501823.jpg
呼気中の二酸化炭素の吸着剤には水酸化ナトリウムが使われた。
水分が混ざると溶解発熱する吸着剤、粗雑に作られた装置には浸水、訓練の最中に何人もが灼熱のガスを吸い込み肺が焼け焦げ死傷した。
全国各地で訓練が繰り替えされたが実戦配備の前に終戦を迎えた。

なんとも言葉が出ない、切ない終戦話だ。
by hanaha09 | 2015-08-12 07:57 | 田舎暮らし | Comments(0)
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