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あるちゅはいま日記

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浅間山の火山観測の歴史

今朝の浅間山は結構噴煙が上がったそうだ。
この辺からでは今日も雲の中。
6月11日には火山噴火警報レベルが2と引き上げられ、16日には噴火した。
浅間山における火山観測の歴史は古く、盛んに噴火を繰り返していた明治時代にさかのぼる。
当時の浅間山麓住民は天明3年の大規模噴火のような災害の再来を恐れていた。
このため長野県では、大山綱昌知事が文部省に浅間山の調査を依頼し、我が国最初の火山観測所が長野県の予算で建設された。
明治44年(1911年)8月26日、浅間山の西南西山腹(通称、湯の平)に我が国最初の火山観測所として旧軽井沢測候所の火山観測業務が開始された。
この草分けの観測所に大きく貢献したのが東京帝国大学教授大森房吉博士と、長野測候所長西澤順作測候技師の両氏だ。
大森氏は自ら開発した地震計を持ち込み、地下から伝わるのマグマの動きを探ろうとした。
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写真は浅間火山観測所(湯の平) 人物左:大森氏 人物右:西澤氏 (1913年6月30日撮影)
標高約2000mの湯の平高原にあったため、この観測所は冬の寒さが厳しく、また、噴火時には観測所の周辺には噴石が度々落下し、一時は観測所を後に逃げ帰ったこともあった。
まさに危険と鉢合わせの観測所であった。
現在ではいくつかの観測機器が整備された。
浅間山の火山観測の歴史_b0126549_15425338.jpg

苦難に満ちた100余年にわたる観測データーの蓄積がほんのわずかな火口の奥からの兆候を捕らえられるようになった今日なのだ。
by hanaha09 | 2015-06-17 15:44 | 田舎暮らし | Comments(0)
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