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あるちゅはいま日記

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江戸農民の休日

日本人は働きすぎ、かのフランスの元女性首相クレソン氏が盛んに言ってた。
「日本人はうさぎ小屋のようなアパートに住み、2時間もかけて通勤し高い物価に耐えるアリのような生活をしている」「日本人は黄色いアリ(fourmis jaunes)」なのだそうだ。
山の中でサンデー毎日の生活を始めて6年が過ぎた。
元女性首相もびっくりするぐらいに怠け癖がついてしまったようだ。
戦のなくなった江戸時代の武士もそうだった。
紀州藩の江戸勤番武士であった酒井伴四郎は自身の日記に1860年6月から11月の半年間の勤務日数を書き残している。
江戸城への登城は月10日前後、7月は一日も勤めに出ておらず、勤務時間は午前中の3~4時間だったそうだ。
武士たちは、「茶会」や「句会」、「詩歌」、「矢遊び」などの余暇の過ごし方を見つけ楽しんだそうだ。
中でも物価の高い江戸にあって、釣りは人気のある余暇の過ごし方だったようだ。
江戸時代の農民もまたそれなりに休みを楽しんでいた。
江戸農民の休日_b0126549_11504513.jpg

下野国都賀郡助谷(すけがい)村(今の栃木県壬生町)のある村役人は、江戸後期に詳細な日記をつけていた。
享和2年(1802)の農民たちの休日数は82日。
村の総意として決められた休日は、きっちり守るということが村内では求められていたようだ。
「ひかん(彼岸)」「初午」「馬作らい」「日光参」「祭礼」「ぼん(盆)」「風祭り」「庚申」「百万遍日待」などがお休みの行事。
見世物や屋台が出たり、飲めや歌えやのお祭りだった。
江戸時代には栽培方法の改良などで田畑の単位面積当たりの収穫量が増え、また農具の改良で作業の効率化が図られたわけだ。
領主たちは農民たちには勤労と休養のバランスを保たせていたのである。
明治の為政者たちも考えた。
維新以後月2回の休日を定めたが、明治9年の今日の日に外国並みに日曜休日、土曜半分休日と改められた。
昭和まで続く土曜日正午の「半ドン」の始まりだ。

サラリーマン川柳より
定時前 「すまんな」「悪いな」「よろしくな」
あれもやれ 残業するな これもやれ

いつからこんなことになったんでしょう。
そういえば「モーレツ!!」なんてのが流行ったときがありましたねえ。






              
by hanaha09 | 2015-03-12 12:48 | 田舎暮らし | Comments(0)
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