人気ブログランキング | 話題のタグを見る
ブログトップ

あるちゅはいま日記

hanaha09.exblog.jp

坂東俘虜収容所

一度だけドイツ国のデュッセルドルフへいったことがある。
飛行場からタクシーに乗ると有名なアウトバーンを走る、もちろんメルセデス。
ほとんど車の通らない、緑の森の中を走る制限速度なしの快適なドライブ。
ひげの生えた運転手は寡黙で運転に専念、村に近くなると制限速度(50kmだったと思う)ぴったりをかたくなに守る。
次の日は各国共同出展の国際展示会要員として出かけた。
各国から要員が集まってくるのだが、カアチャンと一緒のアメリカからやってきたメンバーは昼前に観光に行ってくると帰っていった。
イタリア人は朝来て、みんなの前で喋り捲ると帰っていった。
フランス人はベルギーの家の母ちゃんの元へ帰るのだと昼飯を食べてそわそわ帰っていった。
最初からの予定とおりに残ったのは日本人とドイツ人。
この2日間でなぜ第二次大戦中に日独同盟が結ばれていたのかよーく理解が出来た。
このドイツ国と第一次大戦では敵として戦った。
1914年(大正3年)に、青島の租借地にあったドイツ帝国の要塞を日本・イギリス連合軍が攻略した。
多くのドイツ軍捕虜は日本各地に設けられた14箇所の捕虜収容所に収容された。
坂東俘虜収容所_b0126549_18345095.jpg

そのひとつである徳島県鳴門市大麻町の板東俘虜収容所には、およそ1,000名の捕虜となったドイツ兵が収容された。
収容所は1917年に建てられ、約2年10か月間使用された。
捕虜に対する公正で人道的かつ寛大で友好的な処置を行ったとして知られている。
収容所長は松江豊寿陸軍中佐、板東俘虜収容所を通じてなされたドイツ人捕虜と日本人との交流が、文化的、学問的、さらには食文化に至るまであらゆる分野で両国の発展を促したとも評価されている。
ドイツのメルケル首相が今年3月に日本に来日する予定だそうだ。
メルケル首相の訪日は2008年7月の北海道洞爺湖サミット以来の7年ぶりとなる。
150年を越える日独交流の歴史にはカメラのライカにフォルクスワーゲン、薬のバイエルにヘキスト、日本がお手本にした工業製品、その他技術、芸術、学術がめじろ押しだ。
ただ、お手本に出来なかったのは一月にわたるといわれる有給休暇をたっぷりととることの出来る労働環境だ。
by hanaha09 | 2015-02-27 17:08 | 田舎暮らし | Comments(0)
<< 妖刀「千子村正」 今年は猛暑 >>