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あるちゅはいま日記

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寺子屋事情

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「わたしのおっかさんは、きついから、むしょうとお叱りだよ。まぁおききな。 朝むっくりと起きると手習のお師匠さんへ行ってお座を出して来て、 それから三味線のお師匠さんの所へ朝稽古にまゐってね。 内へ帰って朝まんまをたべて踊りの稽古からお手習へ廻って、お八ッに下ってから湯へ行て参ると、 直ぐにお琴のお師匠さんへ行って、それから帰って三味線や踊りのおさらひさ。そのうちに、 ちいっとばかりあすんでね。日が暮ると又琴のおさらひさ。 っそれだから、さっぱり遊ぶ隙がないから、いやででいやでならないわな」
江戸庶民の子供たちは、寺子屋に通うのが普通。
大江戸のお母さんたちもかなりの教育ママであったご様子だ。
そして、子供たちも今より相当にがんばっていたようだ。
江戸庶民は生き抜いていくためには読み書きが必要と考えた。
当時の寺子屋は、自然発生的に生まれたものだった。
人を蹴落として自分だけが得をするなどという発想はなかった。
女の子にも必要な読み書き能力を身に付けさせたい、奉公に出たときには琴や三味線など何か一芸に秀でていれば方向先に気に入られるのでは、という純粋な親心だった。
寺子屋には、入学証書もなければ、修了証書もない、卒業したからといって社会的メリットもなかった。
幕末期にかけては4万校ほどの寺子屋が運営されてたそうだ。
明治時代の近代化、第二次大戦後の復興...寺子屋教育が基盤となったことには間違いは無い。
by hanaha09 | 2015-02-16 21:15 | 田舎暮らし | Comments(0)
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