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あるちゅはいま日記

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11月15日はかまぼこの日

昔から、ハレの日の料理には「かまぼこ」が欠かせない。
文献に初めて「かまぼこ」なるものが記されたのは平安時代の永久3年(1115年)。
それにちなんで11月15日が『かまぼこの日』となった。
「類聚雑要抄(るいじゅぞうようしょう)」なる文書の中に描かれた宴会の図に日本最古の「かまぼこ」が登場する。
関白右大臣藤原忠実が東三条殿へ移御の時に催された宴会のご馳走の一つなのだそうだ。
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魚類のすり身を竹に巻きつけ炭火であぶり焼きしたもので今の竹輪に近かった。
串の先の三角の形をしたものは手が汚れないように紙で作った飾りだ。
これが、蒲(がま)の穂に色や形が似ていることから、蒲穂子(がまほこ)と呼ばれた。
蒲の穂は武器である「鉾」にも似ているので蒲鉾(がまほこ)の字を当てるようになり、次第に「かまぼこ」となったのでは...とのこと。
一方、板にすり身をつける板付き「かまぼこ」が生まれたのは、室町時代の末頃とされている。
「大草殿より相伝之聞書」には「うすを能すりてすりたる時、いり塩にみずを少しくはえ、一つにすり合板に付る也。付ようは、かさをたかく本うらにおなじ様に付べし。・・・・・あぶりやうは板の方よりすこしあぶり、能酒に鰹をけづり煮びたし候て、魚の上になんべんも付あぶるなり」とあり、板にすり身をつけて焼いていたことがわかる。
板付き「かまぼこ」が生まれたことにより、従来の蒲の穂子の「かまぼこ」は、「竹輪(ちくわ)」と呼ばれるようになった。
さらに、江戸時代になると大量に処理できる蒸製法が開発された。
「守貞漫稿」(1837~1853)には、「今製は三都ともすぎ板面に魚肉を推し蒸す。蓋(けだし)京坂にてはむしたるままをしらいたと云。板の焦ざる故成。多くは蒸して後焼いて売る。江戸にては、焼いて売ること無之(これなく)。皆蒸したるのみ売る」とあり、
江戸では蒸した「かまぼこ」、京の都、浪速では、蒸したのちに再度焼き色をくわえた焼き「かまぼこ」が好まれていたことがうかがえる。
我が生まれた田舎では雑魚(ざこ)が地引網でたくさん獲れていた。
よって、魚加工製品も豊富に出回っていた。
当地では「かまぼこ」とはたいていの人が言わなかった。
「ちっか(竹輪のこと)」と「いたつけ(板付き蒲鉾のこと)」と呼んだ。
「ちっか」には普通の竹輪に、竹が心棒にはまったままの竹ちくわ、それに「えびちっか」なるものもあった。
海老の味がするでもなくただ竹輪のすり身がほのかに紅いだけだった。
海老の皮だけをすり身にして混ぜてたのかもわからない。
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やはり、旨いのは竹ちくわ。
「すだち」を少し絞って、竹の端をつかんで豪快にかじるとワンカップのお供に最高だ。
今の高級かまぼこではとても味わえない魚の味だった。
by hanaha09 | 2014-11-15 17:50 | 田舎暮らし | Comments(0)
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