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あるちゅはいま日記

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幕府天領地

嬬恋村を中心とする浅間山麓一帯は幕府天領地であった。
地方の天領などで年貢の徴収や知行地の石高管理のなどのお役目をいただいた武士がお代官さまだった。
「越後屋殿、お主も悪よのぉ」
「いえいえ、お代官さまほどでは…」
「ガッハッハ」
こんな幻のお菓子もある。
幕府天領地_b0126549_20573025.jpg
悪代官が悪の代名詞として有名なのだが...
お代官さまは担当地域で相当な権限が付与されたけれど、実際には、150俵(今でいうと年収600万円程度)のかなり貧しいお侍さんだったようだ。
年貢を収める時期になると、当時の農民は、代官所で、舛(ます)で米を計って米を収めた。
このとき、舛(ます)からこぼれた米は、お百姓さんが持ち帰っていいってことになっていた、お目こぼしだ。
おめこぼしが多くても文句を言わないお代官さまが“良いお代官さま”。
反対に、お目こぼしを認めないでしっかり舛(ます)の通りに年貢を徴収するお代官さまは、、「今度のお代官さまは、ひでえ奴だ。悪代官だ」ということになったのだ。
お代官は、くまなく領内をまわり、田畑の石高を調査してまわり、これを帳面につける。
すべての田畑に、上中下と区別をつけて、その収穫予測高を事前に掌握する。
このとき、実際には収穫高の多い上田でありながら、中田として登録してくれたりする。
すると年貢高もすこしになる、これもおめこぼしで、「良いお代官さま」になるのだ。
悪代官は、実はまじめすぎる貧乏武士だったのだ。
鎌原村の天明3年の大土石流災害の普及にあたっても年貢のたねの天領地だけに手厚い保護がなされたといわれる。
そして天領地の農民たちは年貢計算でごまかされ無いように読み書き、算術に長けていたそうだ。
by hanaha09 | 2013-02-20 21:03 | 田舎暮らし | Comments(0)
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