またまた大江戸物語の本をひもといた。
東京都江東区の夢の島付近、縁があって十数年毎日通った近辺だ。
そもそも江戸とは家1軒ない草原の地であった。
徳川家康がやってきて天下の総城下町として作られた巨大都市だ。
人口は忽ち膨れ上がり、慶安期(1600年半ば)にはもう莫大なごみ処理の問題が持ち上がっていた。
お触書によりゴミは町住民が共同で処理することとなった。
町民はまたここで考えた。
ゴミを多く出すと川は汚れ、川の泥をさらわねばならなかった。
ゴミを搬出するのにもお金と人手がかかった。
で、町民はこぞってゴミの減量化を図った。
コメのとぎ汁は生活排水として流すより植木にかけるなど細かいところまで気を配った。
川水を汲んで暮らす人もいたし、川で漁をした魚を食べていたのである。
自然をやたらと汚染すれば自らの安全にかかわることを知っていたのである。
それでもゴミは零にはならない、江戸前に埋め立てることにした。
最初にできたゴミによる埋め立て地が永代島だそうだ。
そのうちゴミの埋め立て専門業者が現れ、石川又四郎屋敷の際にゴミを埋め立てることになり、こうしてできた島が石川島、造船所で有名な地だ。
また、榊原越中守屋敷際に捨てることになってできていったのが越中島。
江戸時代から夢の島は延々と築きあげられてきたのである。
いまはこんな南仏を思わせるようなヨットハーバーも出来上がっているそうだ。
こんな話しを知っていればこの辺の毎日がもっと楽しかったかもわかりません。