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あるちゅはいま日記

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今日も雪でつまらぬ大江戸物語

平成24年2月最後の日曜日も雪。
ちょっと気温も下がってきた、マイナスの5℃。
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暇なのでまたまた「大江戸雑学事典」をひもといた。
本日も大江戸エコリサイクル物語。
幕末の1865年、シュリーマンという実業家が日本にやってきた。
トロイの遺跡を発掘したというこのドイツ人が日本旅行記を残している。
その旅行記の中で彼は
「スカーフやハンカチーフではない。日本人は洟 ( はな ) をかむための和紙〔懐紙〕を持ち歩いている。 日本人ははわれわれが洟をかんだ同じハンカチーフを何日も持ち歩いているのに、ぞっとしているのだ。」
また、「日本には布の手ふきはない。紙は樹皮で作られ、吸取紙(懐紙のこと)は使用後洗うことができるほど耐久性をもっている。」
大江戸では紙は庶民の生活の隅々にまで行き渡り、また使用済みの紙を回収する専門の業者もちゃんといたのだ。
回収された紙、手紙や文書などはふすまの下張りにも再利用された。
古文書がふすまの下からあらわれる所以である。
懐紙などは、今と同じように溶かされ、新しい紙によみがえった。
再生された紙はねずみ色の紙だった。
大江戸では 「浅草紙」、京では 「西桐院紙」、大坂では 「港紙」 という名で売られていた。
もっぱら用を足した後始末の紙として使われた。
びっくりしますね、江戸時代のはなしです。
そしてこの幕末期、日本からヨーロッパに大量に陶磁器が輸出された。
当時の浮世絵は今の夕刊「フジ」の様なもの。
大江戸町民はお楽しみの後は放り捨てた。
強靭な和紙で出来た浮世絵は回収され、陶磁器を包む緩衝材として利用されたのだ。
到着した荷物を開けたヨーロッパの人々、このしわしわの緩衝材を広げて見てはニヤニヤ。
印象派の大画家モネまで自分の家の階段に大切に飾った。
ヨーロッパに一大ジャポニズム旋風を巻き起こした立役者はなんと大江戸の古紙回収業者だったのだ。
by hanaha09 | 2012-02-26 17:33 | 田舎暮らし | Comments(0)
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