軽井沢に雨宮敬次郎の別荘が残っている。
明治の殖産企業家、また鉄道王とも呼ばれている。
生糸の相場で財をなし、明治9年にはアメリカ、ヨーロッパと洋行を試みた。
そこで見た鉄道のかなたに緑広がる牧場、家々。
アメリカ西部開拓の成しえた姿をつぶさに見た。
雨宮が日本でこの夢を果たそうと始めたのがこの軽井沢の地。
まず、生まれ故郷の山梨でみたぶどう栽培を手がけてみた。
寒さで皆目ダメだった。
開拓民を募集し、土地、牛馬を与え開拓を試みたが、過酷な自然に逃げ出してしまうもの多数。
やっと見つけたのがカラマツの植林事業。
私財を投じ700万本の植林を図った。
このカラマツ山もその事業に一角かもわかりません。
雨宮は甲武鉄道(今の中央線)、今の小田急電鉄、江ノ電、日本各地の軽便鉄道の敷設、機関車製造会社等々、挙句には鉄道の枕木製造の経営にもたずさわった。
東京江東区には製粉工場、また水力発電、東北での製鉄所の建設とあくまで民間での近代化事業開発を試みた。
すべてが洋行で知り得たアイデアを実現するものであった。
この軽井沢の別荘に大勢の関係者を招いては日本の殖産興業の「志」を説いたそうだ。
明治44年没。
裏山には立派な墓が祭られている。
なんともすごい人が住んでたみたい。
すぐ近くに前々総理大臣の別荘もありますが恥ずかしくなりそうです。