またまた、本州に渡った。
和歌山の加太、友ヶ島との間の狭い海峡を見下ろすことができる小高い丘。
ここは明治時代に開設された大日本帝國陸軍の要塞、大阪湾防衛の拠点。
明治29年の要塞司令部の発足から第二次大戦終戦までは一般人は立ち入り禁止。
おかげで松茸がいっぱい採れたとか。
日露戦争の際に二百三高地の激戦に投入された28サンチの巨砲が6基すえつけられていた。
砲台の前には土塁があり砲弾は上をめがけて発射される。
放物線を描いて加速度をつけながら敵艦の甲板を目指して飛んでゆく。
海から見ると完璧なステルス要塞、ですが本当にうまく敵艦に命中するものだろうか、との疑問も浮かびますね。
案内のインタープリターの方にお聞きしたところ、実戦の機会はなかったのではとのこと。
終戦後には時代遅れの巨砲は撤去された。
そして、砲台の下の部分には弾薬庫、指令官室。
この急な階段を巨大な砲弾を上部に設けられた砲まで運び上げてたのだろうか、帝國陸軍軍人の気骨がうかがえます。
弾薬庫室の天井に作られた青空がのぞける穴はなんだろか、きっとなんかの際の安全弁、それとも地上からの伝声管?
3つの砲台は地下トンネルでつながっています。
レンガのアーチが美しい、軍事施設にもかかわらず設計者のセンスがいいですね。
廃墟ファンにはわくわくしてきます。