嬬恋村郷土資料館にはポンペイで発掘された石膏の人型が展示されている。
この発掘作業の一員として参加された先生の講義を聞いた。
1時間半の予定が2時間半にもなった、おもしろかった。
まずは、ポンペイと嬬恋村の共通点から。
ポンペイの街を一瞬に火砕流で埋め尽くしたベスビオ山。
鎌原村を土石なだれで覆い尽くした浅間山。
噴火の時代は少々違うが姿、形はまるでそっくり。
ベスビオ山の標高は1281m、浅間山は2568mであるが浅間高原はおよそ1300mなので標高差はほぼ一緒。
ポンペイでは多数の人々が犠牲になりその姿が石膏型で復元されてきた。
鎌原村では観音堂下の階段で二人の女性の白骨がそのままの姿で発掘された。
両者ともその際の瞬間の出来事、思いをあれやこれやと想像できる。
ポンペイではいろんな発掘品から当時の文化、反映の様子がうかがえる。
一方鎌原村での埋没した民家の発掘から思いもかけないハイカラな生活模様もうかがえた。
江戸時代の芸者がはくような下駄、ガラス製の鏡、伊万里焼の食器...山の中の集落には似ても似つかぬようなものである。
これにもいろんな想像があちこちめぐりにめぐるのである。
嬬恋村鎌原村が日本のポンペイと呼ばれる所以である。