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あるちゅはいま日記

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終戦記念日にあたって

太平洋戦争が始まり外国人の強制疎開地として指定されたのが軽井沢。
万平ホテルなどを中心に各国の大・公使館が東京からやってきた。
スイス公使館は貸し別荘であった深山荘に引っ越してきた。
ちょうど通りの前に当たる三笠ホテルには外務省が出張所として東京空襲を逃れ開設された。
終戦記念日にあたって_b0126549_715038.jpg

1945年7月26日のポッダム宣言発表後、極秘の受諾交渉がこの軽井沢の地で行われていたのだ。
当時は軍部の息のかかった憲兵隊が軽井沢駅前の旅館に駐在し要人の監視を続けていた。
これをかいくぐり、外務省出張所長の大久保利隆と中立国であったスイスの公使ゴルジェとの接触が行われていた。
外国人外交官の食料調達を隠れ蓑にしたまさに水面下の接触であったそうだ。
かくしてソ連参戦の翌日、1945年8月10日に深山荘のスイス公使館より国体維持を条件にポッダム宣言受諾打診の報が連合国側に打電されたのである。
軍人、民間人合わせて戦没者300万人ともいわれるこの未曾有の戦争悲劇、平和国家の足がかりとなった地に立つとまたなんともいえない感慨がわいてきます。
その後、軽井沢の各国公館では連日のようにパーティが開かれていたそうだ。
もちろん町民たちもこの敗戦の事実を8月15日の玉音放送はるか前に知っていたと軽井沢町史に記されている。
この舞台のひとつになった三笠ホテルはあの山本直純さんのおじいさんが創業者だそうです。
by hanaha09 | 2011-08-15 07:22 | 田舎暮らし | Comments(0)
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