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あるちゅはいま日記

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佐久間象山と入山金山

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嬬恋村三原の庄の名主、黒岩(中居屋)家へ佐久間象山が訪れたらしい。
その影響を受けたのが若き頃の中居屋重兵衛、その後の運命を変えたと思われるのが銃の構造、銃撃法、火薬についての教えを受けたこと、これが無ければなぞの死を遂げることも無かったかも。
信州松代藩の佐久間象山がわざわざ山の中の嬬恋村までのこのことやってきていたのだろうか?
象山は早くから将来を見込まれ、松代藩中きっての博学、武芸の達人であった家老鎌原桐山の教えを受けていた。
この鎌原桐山こそ嬬恋村鎌原城を拠点に一世を風靡していた鎌原一族の出。
松代に入城した真田信正がかつての海野一族の縁で代々家老職として登用していたのであった。
象山にとって嬬恋村は薫陶を受けた師の出身地であったのだ。
師の故郷を訪れていてもなんらおかしくない。
そして、弘化元年(1844)城主真田幸貫より佐野、沓野、湯田中三ヶ村の利用係を申し付けられる。
この三ヶ村、実は松代藩の飛び地、嬬恋村の北方六合村と国境(今の渋峠)を接していたのである。
利用係とは便利屋さんのようにも思ってしまいますが当時は地方の経営を一切任された大役であった。
渋峠から見た草津、六合村の山々。
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象山はなじみのある他藩の白根、万座諸山の埋もれた資源開発に深い関心があったのである。
主君真田幸貫に事業計画を具申していた。
そのひとつ、「草津温泉場にて地面借受け、たぶんの硝石を製し申上度候。」
つまり、草津温泉客の小便を利用して火薬原料の硝石を製造しようとしたのであった。
もちろん白根山の硫黄、嬬恋村の炭それに中居屋重兵衛の火薬製造知識を合わせればまさに目の付け所は満点というところである。
嘉永元年(1848)には沓野日記を書き残している。
資源開発による殖産興業を目指し、鉱物資源の探索に西吾妻地域へ旅立ったのである。
草津北方の入山村、信玄の隠し金山を訪れている。
が、「聞きしには似ずふさはしからぬ場所なり」と記している。
その後には越後にまで越境、銀鉱石の発見にいたっている。
金銀鉱山の開発を計画したのであった。
よくよく考えてみれば入会地といえども他藩の領地、象山の開発計画には当然苦情山積、藩主幸貫の逝去もあり特筆すべき成果も出ずにすべてが終わってしまった。
象山の発明した地震予知機にも似て時代の先の先を考えていたようです。

象山の計画とおりに事が進んでいれば西吾妻地方の今も変わっていたかもわかりません。
入山村、信玄の隠し金山を訪れた白根 山の学校の先生と生徒達。
そこに見つけたものは黄鉄鉱、金色をした鉄鉱石であったそうだ。
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by hanaha09 | 2011-05-05 12:18 | 田舎暮らし | Comments(0)
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