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あるちゅはいま日記

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上信鉱山の足跡

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嬬恋村大前から北へおよそ6km、静かな物音ひとつ聞こえてこない干俣にある仁田沢集落です。
昭和15年、嬬恋村の干川石造さんがこの集落から分け入った山中に炭焼き窯を作ろうとしたところたまたまロウ石の鉱脈を発見した。
この山はロウ石山と呼ばれて10人ほどの村人たちでほそぼそと採掘が開始された。
ちょうど時代は太平洋戦争真っ只中、ロウ石に含有されていた酸化アルミに目を付けたのが当時の軍部。
この鉱石から金属アルミニウムを製造しようとしたのである。
アルミ資源の乏しい日本においてはおそらく藁をも掴む思いであったに違いない。
昭和18年には軍需産業に指定され大阪窯業、日窒工業、昭和電工3社で上信鉱山が設立され国家政策の一環として採掘が始まった。
昭和19年には250人ほどが動員され、鉱石は策道でふもとの仁田沢集落まで降ろされ、トラックで芦生田の草軽電鉄嬬恋駅、トロッコのような貨車で信越線軽井沢駅まで運ばれた。
その算出量は年間15000トンにも達したと言われている。
一方、群馬鉄山の鉄鉱石輸送に施設された太子-長野原-渋川にいたる貨物線に接続する鉄路も建設が進められた。
この国家をあげた大事業もすべての設備が完成を迎えないまま終戦と共にあえなく終わりを告げた。

戦後満州から一人の窯業技術者が引き上げてきた。
大阪窯業東京工場の片隅に放置されていた上信鉱山の鉱石の山を見てさまざまな分析を試みた。
ロウ石といわれていたものは実は加水ハロイサイト(Al2Si2O5(OH)4・2H2O)ということが分かった。
そのままでは耐火物原料としては不向き、焼成をしないと使えないことが分かった。
しかし、試験的に製造された耐火材料は1750℃以上にも耐えうる非常に優秀なものであることが分かったのだ、そして上信鉱山の視察も経て粘土質鉱山として開発する価値は充分と判断した。

これからが話は長くなる。
大阪窯業東京工場のこの技術者を訪れた二人の男が居た。
一人は吾妻郡中之条町の実業家で衆議院議員小渕光平、もう一人が光山電化工業社長の小渕浪次の兄弟だった。
小渕光平の次男は元総理大臣の小渕恵三。現衆議院議員の小渕優子は孫にあたる。
昭和29年に光山電化工業-上信鉱業所が開設され専ら耐火原料としての採掘の再興計画がスタートしたのである。
昭和31年にはハロイサイト鉱石の焼成炉の工事が始まった。そして翌年には高さ14m、直径4mのシャフトキルン、縦型焼成炉1号炉が操業を開始した。
焼成炉は稼動を開始したものの製品の売り先が決まらない。
焼成炉建設のための多額の借金に追い討ちをかけるように兄小渕光平が議員活動中に急死した。
悲嘆にくれていた小渕浪次の下に待ちに待った1枚の注文書が届いたのだ。
時はすでに昭和33年の10月、日本鋼管炉材部からのものであった。
2基目の焼成炉も完成間近、上信鉱山所は一挙に三交代勤務の焼成作業にこぎつけたのである。
鉱石として優秀であった上信ハロイサイトの需要はあっという間に広がり、生産も追いつかなくなってしまった。
山に捨て去っていた鉱石を振るった後の残渣まで処理され、ますます儲かる構造となった。
しかし、昭和38年(1963)に火災により鉱山事務所、宿舎を消失してしまった。
たまたま鉱脈も尽きかけていてこれを機に、上信鉱山所の閉鎖、光山電化工業は休眠扱いとなった。
最盛期わずか4年の活動であったがその間に挙げることのできた高収益は奇跡的なものとして語られています。

地図を見ながら3度も道を間違った。
雪融けで水かさの増した沢にずっぽり浸かってしまった。
背の高さほどの熊笹に行く手をさえぎられ難航、こんなときに熊が出たらお手上げ。
崖をつるにつかまりよじ登ったり、またすべりおちたり。
くじけそうになりましたが大麦でできた飲み物で何とか元気をつけ、やっとのことで行き着くことができました。
久しぶりに思わず何かがこみ上げてくるような感動を覚えましたね。
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左が1号炉、右が2号炉。
設計はくだんの窯業技術者、施工は高崎市の家族経営の築炉業者、じいちゃんとお孫さんの合作だそうだ。
機能はさることながら息を吹き込まれたようなこの造形美、すばらしい。
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燃焼用空気を送り込む羽口と思われます、炉の周囲に穴がありますので。
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鉱滓口には操業終了時の残りスラグがそのまま残っています。
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炉の開口部にはシリカのようなものがくっついています。
結構高温になってたのかなと想像されます。
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やはり年月の経過がまざまざと見せ付けられてしまいます。
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帰りの山道で見つけた鉱石です。
褐色に色のついた部分が加水ハロイサイト、おばちゃんたちが総出で選り分けたそうです。
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鉱山開発を夢見て昭和を生きた男たちのロマンの物語。
この成功がなければ「平成」の元号発表の写真も撮られなかったかも分かりませんし、2千円札もきっと発行されなかったことでしょう。
こんな山の中からも日本を動かした原動力があったんです。
歳月には逆らえず、自然はつわものどもの夢の跡をも元のように覆いつくしています。
by hanaha09 | 2011-04-23 09:09 | 田舎暮らし | Comments(0)
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