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あるちゅはいま日記

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赤壁御殿つづき

「赤壁御殿」の神津一族にはまだまだすごい人物が。
16歳で司法省の法学校に入り、後に法律解説書を出版した神津猛氏の父神津禎治郎氏。
神津俶祐氏は長野電鉄初代社長神津藤平氏の弟にあたる。
東北帝国大学地質学の名誉教授、当時水晶の結晶構造を解明し世界の学者を驚愕させた。
彼が岩手県で発見した新種の角閃石には「神津閃石」の名が与えられている。
英国ロイヤルアカデミーで学び、洋画界の草分けとして活躍した画家の神津港人氏、などなど。
神津家ではもう100年以上前から毎年8月1日に親族一同が会する「お墓参り」という行事が続いているそうだ。
百人近い親類縁者が集まるこの日は「赤壁御殿」が開放され、ちょうど裏の法禅寺のお墓まいりの後会食し一族の親交を深めるそうである。
法禅寺の住職の代替わりの際には「赤壁御殿」で盛大に晋山式が執り行われ、たくさんの僧侶の読経の中、神津家からの住職の興しいれ行列があったそうだ。
これが神津家菩提寺の裏の法禅寺。
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志賀集落にはこんな文化財的建造物も。
建築の年代は分かりかねますが旧志賀村役場。
こんな山の中から日本、いや世界中を席捲しようと志した村人たちの思いがこもったような重厚な建物です。
その後幼稚園、地区の集会所に転用されたそうだがいまはどうも廃墟。
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街道を少し行くとこれも廃墟。
残された看板には「福助協力工場」となってました。
小さな明かり取りの窓しかない倉庫のような建屋、屋根には昔のトイレの換気扇。
いったい何を作っていたんでしょうね。
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いろんな想像が頭をめぐり...なんだかわくわくしてきますね。
by hanaha09 | 2011-04-04 16:14 | 田舎暮らし | Comments(0)
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