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あるちゅはいま日記

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長野原城址

吾妻川と白砂川(旧称須川、草津温泉から流れ出る酸性水の川-酢川が名前の由来)が交わる台地に広がるのが長野原。
北側に広がる急峻な山の尾根に築かれたのが長野原城(別名箱岩城)。
戦国時代には越後の上杉勢、甲州の武田勢の攻防がこの地で繰り返された。
永禄5年(1562)上杉勢の配下であり城主であった斉藤氏が上州侵攻の武田軍勢真田氏によって攻略された。
その翌年には農繁期の手薄な時期をついて再び斉藤氏側が奪還。
侍が田んぼに出掛けて戦争にならなかった?
と、思うとまもなくまたまた真田氏側が奪い返した。
その後草津の湯本氏が城主となったそうだが天正10年(1582)以降の変遷はまったく不明、廃城の時期も不詳。

登山口には瑠璃光薬師堂、ここが大手門。
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結構急なつづれ折の山を登りますとこの城の別名にもなっています箱岩出丸跡。
この箱のような岩も火山噴出物が侵食されたもの。
こんな上から石を落とされたり、矢を放たれたりするとまさに難攻不落。
長野原城址_b0126549_11471115.jpg

尾根にたどり着くとそこは本丸跡。
ちょっと驚くほどの狭さです。
長野原城址_b0126549_1219249.jpg

この尾根沿い700mにわたって出丸、物見台が連なっていたそうです。
こんな細い尾根をわらじの侍たちが走り回ったんでしょうかね。
食事は、水は、トイレはどうしてたんでしょう。
長野原城址_b0126549_12251117.jpg

物見台から鎖を伝わってがけを降りてくると「半増坊大権現」のお社。
半僧坊大権現の御神体は鼻高天狗だそうです。
厄難消滅、海上安全、火災消除、所願満足、信心の誠を尽くせば天狗様の霊験まことにあらたかとのこと。
浜松奥山の半増坊から分霊されたものです。
なかなかそれなりの雰囲気をかもし出しております。
長野原城址_b0126549_12411120.jpg


世界遺産にも観光名所にもなりそうにありませんが、なんとなく豊かな想像が出来る長野原の歴史遺産でした。
by hanaha09 | 2011-02-20 14:05 | 田舎暮らし | Comments(0)
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