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あるちゅはいま日記

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北軽井沢牧宮神社

浅間高原は江戸幕府の天領地、入会地として村人たちの暮らしに広く利用されていた。
明治になりその立ち入りは厳しく制限されてしまった。
風穴を開けたのが北白川宮能久であった。
明治16年殖産振興を旗印に帝国陸軍に奉職していた宮様直営の「吾妻農林牧場(今の浅間牧場)」が開設された。
明治政府より払い下げられた2,100haもの広大な用地に7ケ所の厩舎が設けられ、
全国はもとより米、英、仏から名馬が集められて優秀な軍用馬が生産されていた。
その子孫たちが地元に残され村は国からの保護を受ける良馬産地となった。
この牧場はその後の土地払い下げのきっかけとなり、北白川宮能久は浅間高原開拓の祖となったのである。
北白川宮能久はその後近衛師団長として台湾平定に出兵、遠征地で病死。
その数奇な生い立ち、不運の死に終焉地の台湾に建立された神社の祭神として祭られた。
第二次大戦敗戦により台湾の神社はすべて廃社された。
そしてよみがえったのがここ北軽井沢、昭和22年牧宮神社に御霊の鎮座となったのであった。
北軽井沢牧宮神社_b0126549_20581632.jpg

ここは草軽電鉄の旧北軽井沢駅前ですので周りはその賑わいを感じさせる趣です。
ぴかぴかのステンレス製の鳥居を見たのはこれで2件目。
前に見たのは日本冶金川崎工場の中のお稲荷さん、そのときはなるほどと納得してたんですが...
北軽井沢牧宮神社_b0126549_2165751.jpg

浅間高原鬼押し出しには北白川宮能久が問跡となっていた上野寛永寺の別院が溶岩の中に建立されています。
近衛師団の演習場となったり、陸軍士官学校、駐屯地が設けられたりしています。
何かとゆかりのある人物となっています。
by hanaha09 | 2011-02-02 21:36 | 田舎暮らし | Comments(0)
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