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あるちゅはいま日記

hanaha09.exblog.jp

ちょっと良い話

食事の前には「いただきます」。
食べ終わったら「ごちそうさま」。
当たり前のことである。
では、外食に行ったとき...
店を出る時にお店の人に「ごちそうさま」って言って店を出るかな?
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色々議論が伯仲してるそうだ。
ファミレスで「ごちそうさま」を言わない彼氏を彼女が殴った、というような内容のツイートが話題になったのだそうだ。
実は、店によって「ごちそうさま」を言う言わないのラインがあるのでは? 
たとえば、帰り際に感じのいいマスターに「ありがとうございました」「お気を付けて」などと言われたら、普段は何も言わない人でも「ごちそうさま」と言ってしまうのではないか。
ファミレスのようなチェーン店のアルバイトにまで「ごちそうさま」なんて、と思ってるのではないだろうか。
牛丼屋でも、ぜいぜい400~500円の支払いだが、「ごちそうさま」と言って帰る方がなんだか平和でいいじゃないか。
バイトの店員でも「なんだこの客うぜぇな」と思っても、帰りに「ごちそうさま」と言われたら許せてしまうことは何度もあるそうだ。
まるで魔法のような言葉じゃないか。
こんな便利な言葉、使わない手はないと思うだが、あなたはどう思うだろうか?
このハゲーと叫んだ最高学府を卒業した議員さんが居たかと思うと、不倫がばれてもなにもありませんでしたとシラを切る、これも国会の議員さん。
こんな魔法の手も知らなかったんでしょうかねぇ。
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# by hanaha09 | 2017-09-24 20:05 | 田舎暮らし | Comments(0)

秋分の日

今日は秋分の日の休日だ。
たいていが天気が良いんだが今年は小雨模様。
秋分の日とは二十四節気のひとつ、この日から昼が短くなる日だ。
日本政府は明治6年にアジア諸国に先立って太陰暦から太陽暦に移行した。
江戸時代に用いられていた太陰暦とは月の運行に基づいたもの、日付は太陽の位置とは無関係。
月の満ち欠けの周期は29.5306日、これをひと月としたため一年では約354.0432日となる。
太陽の一周する365日なので、暦と四季の周期との間にずれが生じてきてしまう。
それを補うため三年に一度ほど、閏月をもうけた、一年が13か月になる年があったのだ。
江戸時代の百姓は月の満ち欠けの具合を見れば日にちはだいたい判明する、しかし農耕等の予定を立てるにはまことに不便であった。
そこで、登場したのが二十四節気である。
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二十四節気は、旧暦で冬至を基点として1年を24等分、季節感のある名前を付けた。
つまり、地球からみた太陽の軌道を24分割し、地球が太陽を一周して再び冬至点にくるまでを1年とした。
そして、節気を春夏秋冬に6つずつ配置した。
季節カレンダーである、太陰暦によってずれてしまう季節を補うものだった。
江戸時代の百姓たちにとっては季節を知りたければ二十四節気、農事で何をするときか、どんな花が咲くときか、どのように気温が変化し自然現象が起こるときかを知ることができたのである。
現代人よりもはるかに季節に関心をもち、季節を感じ、季節がもたらす恩恵を享受していたのだそうだ。
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# by hanaha09 | 2017-09-23 09:53 | 田舎暮らし | Comments(0)

ももんじ屋

江戸時代は、奈良時代から続く獣肉食禁止の考えが引き継がれていた。
しかし、「ももんじ屋」と呼ばれる獣肉料理を扱う料理屋が存在したのも事実。
肉は「薬食い」と称して食べられていたのだ。
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少し遠慮があったのか、馬肉を「さくら」、猪肉を「ぼたん」「山鯨(やまくじら)」、鹿肉を「紅葉(もみじ)」などと呼んだ。
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ウサギは一羽、二羽と数えた、鳥の一種としてしまった。
また、「かちかち山」では、おばあさんが捕まったタヌキさんをタヌキ汁にして食べてしまう。
このおばあさんに「仏罰」があたった、なんて物語には出てこない。
江戸時代のファジーなところの一つだ。
そして、やはり獣肉はごちそうだったのだ。
昔、築地の裏通りの居酒屋(ももんじ屋の名前ではなかった)でクマやらシカやらイノシシと何やかやの獣肉を鍋で食べたことがある、結構酒のあてには旨かった。
だが、ゾウの肉だけはしわしわで全くおいしくなかった。
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# by hanaha09 | 2017-09-22 17:47 | 田舎暮らし | Comments(0)

自然の造形美

ITの進歩はめざましい。
夜明け前に目が覚める年寄りのツールは、はるばる中国の深圳からオランダ郵便局経由で送られてきた中華パッドだ。
10.1インチのWQXGA画面(FHDの2倍の画素数でとてもきれい)、アンドロイドもwindowsも、両刀使いだ。
布団の中で今日の天気、予定、メール、facebook、abemaテレビ、スマートニュースと一巡する。
そのうち夜が明けて来る。
今朝はおもしろニュースにであった、布団の中でニヤッとしてしまった。

これはパンだ、間違いなく。
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色合いまでよく似た...ジャガイモだ。
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なんとも言えませんなぁ、これって普通に売ってるオレンジ?
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かわいいがヒリヒリしそうなトウガラシ。
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これは極め付き、どこで採れたダイコンなのか...
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たまにはお笑いも。
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# by hanaha09 | 2017-09-21 09:33 | 田舎暮らし | Comments(0)

今日はバスの日

今日はバスの日だそうだ。
いつものゴロ合わせではない、1903年のこの日、日本初の営業バスが京都・堀川中立売~七条~祇園の間を走ったのだそうだ。
1903年と言えば明治36年、一体どんなバスだったんだろう?
こんな感じだったのかなぁ。
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ひまなのでググってみると懐かしいのがあるわあるわ、いっぱい出て来る。
こんな木炭バスが走ってた、ちょうど出発前に車体後部にある木精ガス発生器から青白い炎が上がってたのを覚えている。
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母方の山の実家に行くときに乗るのはこんなボンネットバスだった、ガタガタ道をおよそ2時間、よくバスの窓からゲロをした。
運転手も嫌な顔一つしてなかったが、後の掃除が大変だったんだろうね。
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市内ではトレーラーバスも走ってた、昭和24年から走ってたと書いてあるので乗ったのはまだまだ小さい頃の話だ。
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そして、餓鬼たちの遊びは運転手ごっこ。b0126549_18562672.jpg
丸いざるの真ん中に長いハシを通してバスのハンドルに、火鉢を椅子の横に持ってきて火箸を差す、これがギアチェンジのシャフトだ。
椅子の後ろにはまた別の椅子、これが客席。
口でうーんうーんとうなりながらギアチェンジのまねごとをする。
曲がるときにはぴこぴこ(昔の方向指示器は下から横に飛び出すものだった)と声を出しながらザルのハンドルをぐるぐる回すのだ。
今考えるとまるでバカ丸出し、でも交代でまじめにやっていた。

このボンネットバスには大人になって乗ったことがある、確か今の奥さんと一緒に。
そんなに古い昔ではない。
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なつかしいのぅ、ふた昔前の話だ。
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# by hanaha09 | 2017-09-20 19:04 | 田舎暮らし | Comments(0)

満蒙開拓団

9月18日は満州事変の勃発した日だ。
日露戦争講和により日本が経営の権利を得た満州鉄道が柳条湖付近で爆破されたのだ。
当時満州で張学良が率いていた中国軍の犯行と発表された。
満鉄の警備を担っていた関東軍は日本帝国の権益を犯したとのことで一挙に満鉄近辺はおろか満州一帯に軍事展開、難なく制圧した。
実はこの事件、関東軍の自作自演、満州占領の口実として利用したというのが戦後の一貫した説だ。
この事件をきっかけとして、満州帝国の建国、激戦の太平洋戦争そして、日本の敗戦という歴史をたどることとなる。
「五族協和と王道楽土」を建国の理念に掲げた満州帝国には1932年の第一陣をはじめとして1945年までに14次にわたり日本各地より満蒙開拓団が送り込まれた。
その数は32万人と言われている。
この満蒙開拓団には当時、1930年から2年にわたって続いた大凶作と、昭和恐慌に伴う蚕繭の大暴落で疲弊した農民たち、とくに在郷軍人に白羽の矢があてられた。
政府中枢にとっては満州一帯の国境防衛、匪賊からの防衛をもになった屯田兵だったのだ。
「一家に二十町歩(20ヘクタール)、20年間肥料の要らない畑が無償でもらえる」こんな話で到着した満州の地にはすでに耕作されていた畑も家もあった。
その地は長年にわたって中国人たちが開拓してきた土地、満州政府により二束三文の対価で強制的に買い上げられたものだった。
開拓団の人々は気候風土の違い、民情・言語違い、中国人から反日の眼、匪賊からの度重なる襲撃、辺境の地で辛酸をなめつつ田畑を耕す日々だったそうだ。
そして迎えたのが1945年8月9日のソ連軍の満州への侵攻だった。
国境防衛にあたった関東軍は全滅、残された満蒙開拓団には召集により老人、女性、子供だけ。
敗戦後、帰国の途に着いた開拓者らの旅路は険しく困難を極め、食糧事情や衛生面から帰国に到らなかった者や祖国の土を踏むことなく力尽きた者も多数いる。
ようやく着のみ着のままで日本の土地を踏みしめた開拓団員にとって、一度捨てた故郷で再び生活を営む余地はすでに無くなっていた。
やむなく内地再入植の道をたどらざるを得なかった。
もともと開拓できる土地などは無い、わずかに残ってた土地が北海道、富士山のすそ野の上九一色村、そして浅間山山麓の軽井沢、北軽井沢。
再入植者が語る、「自分の人生で一番苦しかったのは軽井沢だ。この土地では本当の開拓が求められた。」この地は火山灰、火山礫のゴロゴロする、なんにもできない放っておかれた土地なのだ。
北軽井沢を国道沿いに少し北へ下った所にあるバス停「甘楽(かんら)」。
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その向かいにいくつか建てられている満蒙開拓碑。
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この北軽井沢の土地に名付けられた「甘楽」は群馬県甘楽郡からとられた地名だ。
甘楽郡から満州に送りだされた満蒙開拓団の人々がこの地に再入植した。
今ではこの高原には青々とした白菜、キャベツ畑が広がり牧草地の向こうにはのどかな牛舎が見える。
この碑の裏には、辛酸を極めた開拓団の経緯と団結力によって乗り切った強い意志、犠牲者の追悼、そして「五族協和と王道楽土」には程遠かった悔しさと恒久平和を祈念することばが力いっぱいに刻み込まれている。
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# by hanaha09 | 2017-09-19 19:53 | 田舎暮らし | Comments(0)

ヤマシャクヤクの実

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なんともグロテスクな実。
春先にあの可憐な花を咲かせるヤマシャクヤクだ。
昨年の実は黒い実があったが今年はない。
この赤い実は実ではないそうだ、ダミーなのだ。
昨年少しばかりの種を蒔いたが芽は出てこない、もう1年かかると思うんだが。。。
残念ながらどの鉢に植えたかわからなくなった。
種と培養土をビニール袋に入れて土に埋め込んでおき、年が明けると鉢に撒くのも良いそうだ。
種を蒔いて芽が出るまで2年、芽が出て花が咲くまで4-5年。
旨く育っても、実生の苗から花が咲くころには、ボケてアーウー言ってるか、それともお陀仏か...
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# by hanaha09 | 2017-09-18 22:39 | 田舎暮らし | Comments(0)

赤とんぼが赤くなった

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もう秋だ。
黄色っぽい色を呈してた赤とんぼが赤くなった。
オスの赤とんぼが十分に成熟した証拠だ。
秋雨前線などの通過を契機に大群を成して山を降りる。
平地の田んぼなどに移動し、交尾、水たまりなどに卵を産む。
この赤とんぼが赤くなる原因は「オモクローム系色素」の変化によるものと見られている。
黄色から赤色への変化は、酸化された色素が還元されるためらしい。
なぜオスだけが赤くなるのだろう?
オスなどは日なたで縄張りを作る習性があり、紫外線による酸化ストレスを軽減させる為に、酸化ストレスの影響を受けにくい赤色になると考えられるのだそうだ。
新に還元剤が取り入られるのではなく、色素自体の還元型の割合が増えてくるための赤色呈色となるとのことだ。
なんだか樹木の紅葉システムにもよく似てる。
還暦祝いの衣装の赤色ちゃんちゃんこもこんなアイデアから出てきたものかもわからない。
東洋医学では赤い下着は交感神経が活発になり、性ホルモンも分泌しやすくなるのだそうだ。
血流もよくなり体温が2〜3℃上昇、そして、“情熱の赤”は自然と気分も高揚効果をもたらす。
今更この歳で赤パンツでもあるまい...
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# by hanaha09 | 2017-09-17 13:36 | 田舎暮らし | Comments(0)

水と安全はタダではなかった

嬬恋村村営水道の主な水源はここから南へ500mほど上がった、浅間山からの湧水だ。
冷たくて、おいしい水がふんだんに味わえる。
江戸の町には、冷たい水を入れた荷台を担ぎ、街中を次のような呼び声で売り歩いていたのが「冷や水売り」だ。
「氷水あがらんか、冷(ひやつこ)い。
汲立(くみたて)あがらんか、冷(ひやつこ)い」、と。
実際は生ぬるい水だったと思われるが料金は一杯四文、注文によリ砂糖や白玉も入れたそうだ。
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また、「水屋」という商売もあった。
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世界一ともいわれる神田上水・多摩上水という水道システムが構築されていた江戸でも、隅田川から東の墨田・江東区地区はいくつかの川を横断しなければならないので水道の恩恵にはあずからなかった。
このあたりは井戸を掘っても塩気で飲めるようなものでは無かった。
そこで登場したのがこの水商売。
江戸市中を給水された玉川上水は、日本橋川に架かる”一石橋"脇で余り水を川に滝のように排水していた。
同じように神田上水も一石橋の隣、”銭亀橋"脇で余り水を排水していた。
この余り水を船に積み込んで深川、本所方面に運び「水屋」が各家庭に配っていたのだ。
天秤棒で担ぐ桶2杯でこれも四文、十六文のそばの価格の4分の1、利の薄い商売だ。
それでも、得意先が決まっていたので「水屋」のほうでも、どの家でいつごろ水が不足するかを把握して、留守には水を配って置かれた代金を頂くという、命を繋ぐ商売だった。
日照りが続くと余り水が少なくなり、4文の水が100文を越えた事もあったと言われている。
日本でも「水と安全」は昔からタダではなかった...
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# by hanaha09 | 2017-09-16 19:09 | 田舎暮らし | Comments(0)

江戸時代のミサイル?

埼玉県秩父市吉田にて毎年10月の第二日曜日に開催される「椋(むく)神社の龍勢」祭りがある。
椋神社例大祭に奉納する神事として発射される、代々伝承されてきた農民による手作りロケットだ。
と言ってもなかなかの迫力。
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その起源には諸説がある。
・「日本武尊が奉持した鉾より発した光のさまを尊び、後世椋神社氏子民が光を飛ばしご神意をなぐさめ奉った。」という説。
・「戦国時代の頃、ノロシ(狼火)から土地の農民が考案し、その後改良された」とも。
天正3年(1575)に「龍勢」を打ち上げたという椋神社社伝があるが、定かではない。
まさに農民たちの知的好奇心のなせる五穀豊穣・天下泰平を願う伝統打ち上げ行事であった。
「龍勢」の資料を垣間見たアメリカ航空宇宙博物館の局員、「もしも世界中の物理学者が吉田の龍勢を知っていたら、宇宙ロケットの歴史はもう10年早く始まっていただろう」、と。
今、ミサイルで話題のどこかの国もノウハウを盗みにやってきてたかもわからない。
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# by hanaha09 | 2017-09-16 09:15 | 田舎暮らし | Comments(0)