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あるちゅはいま日記

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夏が終わった?

久しぶりの太陽が出てきた。
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ハルニレの木はもう黄葉。
広葉樹は用の済んだ葉を落としてしまう。
その前に葉に供給する水、栄養を断ってしまう。
葉にあり栄養製造工場でもある葉緑素がその使命を終え消えていくと緑の色素が無くなっていくのだ。
葉にもともとあったカロチノイドの黄色い色素が見えて来る、これが黄葉だ。
なぜ、広葉樹は葉を落としてしまうのか?
葉緑素を維持するには栄養が必要、葉緑素が作り出す栄養の量が維持に必要とする栄養をしたまわれば、葉緑素を維持する必要はないのだ。
そのまま放っておくと木が退化していくだけだ。
維持費ばかりかかる古い効率の悪い製造機械は捨て去るわけである。
そして、葉緑素が栄養を合成する際に生じる老廃物を葉と共に木から落としてしまうのだ。
おまけに冬に入ると太陽の高度は低く、栄養合成のエネルギーが不足する、ますます製造効率の悪い季節となる。
冬場の低い気温は水分を吸い上げる根の活動も弱める、冬は葉が無い方が良い。
広葉樹の葉は一般的に薄く出来ている、いわば夏場だけの使用に耐える安上がりの生産設備ともいえるのである。
なんとも合理的で、経済の原則にのっとった樹木のふるまいだ。
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# by hanaha09 | 2017-08-22 10:09 | 田舎暮らし | Comments(0)

いートラック

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ニュースを見てたらこんなのが出てた。
前々から頭の中に描いていたやつだ、先を越された。
「ドイツ企業シーメンスがドイツのアウトバーンの一部に、eハイウェイシステムを構築すると発表した。2018年の終わりまでに設置を完了させるという。」
「道路上に架線を設置し、ここからハイブリッドトラックに対して電力を供給する。
トラックはルーフに設置されたパンタグラフを伸ばして電力を受け取り、モーターで走行するという仕組み」なのだそうだ。
上り坂と平坦地に架線を引けばよい。
その間に搭載バッテリーに蓄電をすれば良い。
下り坂では架線は要らない、回生モーターでまた蓄電すれば良い。
バッテリーの蓄電量が無くなれば小馬力エンジンで発電すれば良い。
一緒に電気自動車にもパンタグラフを貸し出して、走行しながら蓄電すれば良い。
電気自動車はパリのような乗り捨てレンタルにすればよい。
レンタル自動車の回送移動は自動運転システムだ。
環境にも最適だ。
発電はソーラーパネルがあれば良い、水力発電があればいうことなし。
嬬恋村のような水力発電所もある、ソーラーパネルもある、地産地消の絶好のシステムだ。
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# by hanaha09 | 2017-08-21 10:00 | 田舎暮らし | Comments(0)

女郎花が咲いた

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秋の七草のひとつであり、万葉集や源氏物語にも登場する。
「女郎花」と書いてオミナエシと読む。
黄色く小さな花がかわゆい。
昔々、女性は粟(あわ)ご飯を食べた。
カルシウム、鉄分、カリウムなどが豊富で、消化も良く、貧血気味の女性や赤ちゃんにもとてもいいのだそうだ。
で、「粟ごはん」のことを「女飯」といっていた。
この黄色の花が粟つぶのように黄色くつぶつぶしていることから「女飯」→「おみなめし」→「おみなえし」。
「オミナエシ」に「女郎花」という漢字が当てられたのは、とても古い時代、延喜年間(901~923年)の頃とされている。
当時の貴族の令嬢、令婦人の敬称が「女郎」だったことが由来なのだそうだ。
美人も圧倒する高貴な花なのだ。
「ひょろひょろと 猶(なお)露けしや 女郎花」  松尾芭蕉
こんな花を見て、江戸時代の女郎(遊女)屋を想像するのはスケベなオッサンだ。
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# by hanaha09 | 2017-08-20 09:29 | 田舎暮らし | Comments(0)

俳句の日

5・7・5から成る、世界最短の定型詩とも言われるのが俳句だ。
現在では英語圏を中心に、世界中で句作を行う人がどんどん増えているのだそうだ。
「1つの考えを短く纏める詩で、人の心を掴みやすく、創造的な世界を生み出せる詩の形」
きょうは8・19(は㋠・いく)、俳句の日なのだ。
何回も紹介しているのが俳聖と呼ばれた石田波郷が嬬恋村を詠んだ句、
  葛咲くや嬬恋村に字いくつ  石田波郷
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これも前に紹介した北信濃の山村に構えた小林一茶は二万に及ぶ句を残した、
  門の木も先つゝがなし夕涼  小林一茶
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嬬恋村大前にある句碑に刻まれた松尾芭蕉の詩、
  雲雀啼くなかの拍子や、きじの声 はせお翁
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そして、
  峻烈な生きざま背負う、秋の蝶  詠み人私
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# by hanaha09 | 2017-08-19 12:57 | 田舎暮らし | Comments(0)

膃肭臍

膃肭臍、なんて読むんだろうね。
膃肭は「おつどつ」と読むらしい、意味は"肥えてやわらかい"ということらしい。
臍は「ほぞ」、男の一物のこと。
アシカ科の動物から採取した膃肭臍を生薬として用いた。
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つまり、『大和本草』(宝永五-1706年)には、「膃肭臍とは其陰茎なり。へそに連ねて用いる故に、"おっとせい"と云と時珍いへり。」
膃肭臍とは生薬の名前、これらを採取した動物がそのまま「オットセイ」と名付けられた。
この「オットセイ」、アシカ科の海生哺乳類。
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体長、雄は約二・五メートル、体は暗褐色を帯び、四肢は短く鰭状で、水中の動作は機敏、魚類を捕らえて食う。
「オットセイ」は一頭の♂が数十頭の♀を従えていて、つぎつぎに種つけをする。
まさに精力絶倫、この膃肭臍を人は精力増強剤、男女和合の秘薬として用いるようになった。
日本は、1911年に膃肭獣保護条約を締結し、「臘虎膃肭獣猟獲取締法(らっこ・おっとせいりょうかくとりしまりほう)」で捕獲や所持を規制した。
1957年には「北太平洋のおっとせいの保存に関する暫定条約」を(アメリカ、カナダ、ソ連、日本)締結し、保護の取り組みを行ってきた。
戦前戦後の東京では強精剤としての膃肭臍丸薬や練薬が売られていたが、ほとんどが偽物だったそうだ。
それでもよーく効いたのであろうか?
現代の膃肭臍は、あまりにも膃肭臍成分含有量が少なすぎて「何にも変化があらわれない」という話が多いのだそうだ。
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# by hanaha09 | 2017-08-18 15:47 | 田舎暮らし | Comments(0)

「東印度」独立運動

「帝国ハ東『インド』民族永遠ノ福祉ヲ確保スル為メ、将来其ノ独立ヲ認メントスルモノナルコトヲ茲ニ声明スルモノデアリマス」
1944年9月7日、小磯國昭首相によって「東印度」に対する「将来の独立許容」をうたう小磯声明が発表された。
それに先立つ1942年にはオランダの植民地であった「東印度」(今のインドネシア)に今村中将率いる第16軍が侵攻した。
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南方の資源確保、特に石油の入手のために最重要地域として位置づけられていたのだ。
侵攻の際、今村中将は、オランダによって収監されていたスカルノやハッタ、シャフリルら現地の民族運動指導者を解放した。
彼らの祖国独立を目指す情熱に感銘を受けた今村中将は、次のように言って、彼らを支援した。
「独立というものは、与えられるものではなく、つねに戦い取るべきものだ。かれらが戦い取ることのできる実力を養ってやるのが、われわれの仕事だ、、、」、と。
しかし、小磯表明による独立がなされる直前に日本は敗戦を迎えた。
スカルノ、ハッタは日本敗戦の二日後インドネシアの独立を宣言した、それが今日8月17日のインドネシア独立記念日だ。
しかし、敗戦後の再植民地化を狙ったオランダはこれを無視、イギリス軍と共にインドネシアに再度上陸、侵攻した。
イギリス・オランダ軍に対抗して独立を目指す彼らには武器が必要だった。
秘かに、武装解除された日本軍の武器が彼ら独立勢力にわたっていった、彼らに共感を得た日本軍の一部の画策であった。
そして、およそ1,000~2,000人もの残留日本兵が独立運動の義勇兵として参加した。
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長いオランダとの戦いの果て、1949年の12月の国連のオランダへの撤兵勧告によってインドネシアは真の独立を勝ち取った。
独立運動の義勇兵として参加した残留日本兵、およそ400人がこの闘争で戦死したと言われている。
インドネシアを救おうとした日本軍人たちだった。
「東京裁判」で裁判官として「日本の侵略戦争」を裁いたイギリス・オランダ人たちは、インドネシア独立戦争で犠牲となった婦女子を含めた80万人、破壊しつくしたスラバヤなどの各都市の損害に対して何等の謝罪、賠償も行っていないのである。
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# by hanaha09 | 2017-08-17 14:28 | 田舎暮らし | Comments(0)

盆おどり

全国各地で盆おどり。
b0126549_21344970.jpg「踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃソンソン...」と叫びながら踊るのは日本三大盆踊りにランクされる阿波踊り。
「ねー、見てるだけの阿呆さん、人生なんてあっという間に終わってしまう。同じ短じかい人生、楽しく踊って過ごさなきゃ損なのだ!」
という人生哲学論。
笠で覆った顔かたち、髪を掻き上げた白いうなじ、ピンクのけだし、高く上げた足から覗く白い大腿部、帯できつく締めあげられた胴のくびれ...そしてしなやかに動く手足。
色気たっぷりの盆踊りだ。
盆踊りはもともとは仏教行事、死者の供養の意味合いを持っていた。
鎌倉時代に一遍上人が長野県佐久市の西方寺で始めた盆踊りのルーツともいえるのが「踊り念仏」。
一遍や同行の尼僧らは念仏で救済される喜びに衣服もはだけ激しく踊り狂い、法悦境へと庶民を巻き込んで全国大ブームを引き起こしたのだそうだ。
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この盆踊り、江戸時代には連日連夜、夏の間を踊り続けるというような絶頂期に入った。
次第に盆踊りは性の解放のエネルギーと結びついていく。
その勢か、江戸時代、また明治時代に入っても当局の風紀取り締まり対象に何度もなったそうだ。
「やる好き者に見る好き者、同じ好き者ならやらなきゃ損々!」、こんな珍解釈もまんざらでたらめでもなさそう。
阿波踊りの本拠地では春先に生まれる子供も多い???
俺は9月生まれだ。
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# by hanaha09 | 2017-08-16 22:30 | 田舎暮らし | Comments(0)

終戦の詔勅

1945年(昭和20年)8月14日、日本は御前会議において鈴木貫太郎首相が昭和天皇の判断を仰ぎ、ポツダム宣言の受諾を最終決定した。
ポツダム宣言は「全日本国軍隊ノ無条件降伏」(第13条)などを定めていたため、その受諾は太平洋戦争において、日本が降伏することを意味した。
昭和天皇による終戦の詔書(大東亜戦争終結ノ詔書)が社団法人NHKにより15日正午より放送された、これが玉音放送と言われる。
通常の出力10kwを60kwに増力し、昼間送電の無い地域には特別送電を行い、さらに短波により東亜放送を通じて中国占領地、満州、朝鮮、台湾、南方諸地域にも放送された。
頭に残っているのは「堪ヘ難キヲ堪ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ...」だけかもしらない。
およそ5分間の詔勅、現代語訳全文を見てみよう。
『余は、深く世界の大勢と、帝国の現状をかえりみて、非常措置をもって事態を 収拾しようと欲し、ここに忠実にして善良なる汝ら臣民に告げる。

余は帝国政府に、米英中ソの四国に対し、そのポツダム宣言を受諾する旨、通告させた。

そもそも、帝国臣民の安寧をはかり、万国が共存共栄して楽しみをともにすることは、天照大御神からはじまる歴代天皇・皇室が遺訓として代々伝えてき たもので、余はそれをつねづね心がけてきた。先に米英の二国に宣戦した理由も、 実に帝国の独立自存と東アジア全域の安定とを希求したものであって、海外に出て他国の主権を奪い、領土を侵略するがごときは、もとより余の志すところではない。しかるに、交戦状態はすでに四年を過ぎ、余の陸海軍の将兵の勇敢なる戦い、余のすべての官僚役人の精勤と励行、余の一億国民大衆の自己を犠牲にした活動、それぞれが最善をつくしたのにもかかわらず、戦局はかならずしも好転せず、世界の大勢もまたわが国にとって有利とはいえない。

そればかりか、敵国は新たに残虐なる原子爆弾を使用し、いくども罪なき民を殺傷し、その惨害の及ぶ範囲は、まことにはかりしれない。この上、なお交戦を続 けるであろうか。ついには、わが日本民族の滅亡をも招きかねず、さらには人類文 明そのものを破滅させるにちがいない。そのようになったならば、余は何をもって 億兆の国民と子孫を保てばよいか、皇祖神・歴代天皇・皇室の神霊にあやまればよいか。以上が、余が帝国政府に命じ、ポツダム宣言を受諾させるに至った理由である。

余は、帝国とともに終始一貫して東アジアの解放に協力してくれた、諸々の同 盟国に対し、遺憾の意を表明せざるをえない。帝国の臣民の中で、戦陣で戦死した 者、職場で殉職した者、悲惨な死に倒れた者、およびその遺族に思いを致すとき、 余の五臓六腑は、それがために引き裂かれんばかりである。かつ、戦傷を負い、戦争の災禍をこうむり、家も土地も職場も失った者たちの健康と生活の保証にいたっては、余の心より深く憂うるところである。思うに、今後、帝国の受けるべき苦難は、もとより尋常なものではない。汝ら臣民の真情も、余はそれをよく知っている。しかし、ここは時勢のおもむくところに従い、耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍び、それをもって万国の未来、子々孫々のために、太平の世への一歩を踏み出したいと思う。

余はここに、国家国体を護り維持しえて、忠実にして善良なる汝ら臣民の真実 とまごころを信頼し、常に汝ら臣民とともにある。もし、事態にさからって激情のおもむくまま事件を頻発させ、あるいは同胞同志で排斥しあい、互いに情勢を悪化 させ、そのために天下の大道を踏みあやまり、世界の信義を失うがごとき事態は、余のもっとも戒めるところである。

そのことを、国をあげて、各家庭でも子孫に語り伝え、神国日本の不滅を信じ、任務は重く道は遠いということを思い、持てる力のすべてを未来への建設に傾け、道義を重んじて、志操を堅固に保ち、誓って国体の精髄と美質を発揮し、世界の 進む道におくれを取らぬよう心がけよ。汝ら臣民、以上のことを余が意志として体せよ。』
政治の大切さをしみじみと感じてしまう。
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# by hanaha09 | 2017-08-15 16:58 | 田舎暮らし | Comments(0)

8月14日の空襲

終戦を迎えようとしていた1945年、国鉄城東線(今のJR環状線)の京橋駅へ学徒動員され、改札・出札・駅名連呼などに携わっていた女性の話。
「昭和20年8月14日(終戦の詔勅の前日)も、いつものように京橋駅のホームで仕事をしていました。B29というアメリカ軍の飛行機が、たくさん飛んできたのです。防空壕に入って間もなく、ドドーンという爆弾の音がひっきりなしに続き、防空壕の中は大きい地震のように揺れました。防空壕の中で、1時間くらい爆音と振動が続いたと思います。その後、防空壕の外には、見渡すばかり一面に死体が横たわっていました。近くの砲兵工廠を破壊するための大型爆弾が落ちてきたと聞きました。(中略)空襲がやんでしばらくして、アメリカ軍機が飛んできて、「空襲は今日で終わりです」と書かれた紙を壊滅した京橋駅の上空からバラまきました。きれいな毛筆で、白い短冊のような紙に書かれていました。」
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前にもあったように、軽井沢に疎開していたスイス公館より日本のポッダム宣言受諾宣言を通知したのが8月10日、外国公館の関係者たちが毎晩のように終戦を祝うパーティを開いた時だ。
8月14日の米軍空襲は大阪だけでは無かった。
14日から15日未明にかけて全国10か所以上の各地に空襲があり、2,300人以上の犠牲者を出した。
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なぜ?
降伏が決まっていても、戦闘中止命令は出ていなかった。
1945年8月15日朝にも「沖縄への特別攻撃隊出撃命令」が海軍・陸軍からでて戦闘機が飛び立っている。
終戦の詔勅後の8月18日、ソ連軍が千島列島占守島の北部の竹田浜に上陸し、日本軍と戦闘に突入、ソ連兵2,000人の犠牲を出した。
終戦にさいしての混乱期と言え、なんとも言えない出来事だ。
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# by hanaha09 | 2017-08-14 18:31 | 田舎暮らし | Comments(0)

ビキニ

1946年7月1日、マーシャル諸島のビキニ環礁で米国によって、第二次世界大戦後初の原爆実験(クロスロード作戦)が行われた。
この実験の直後の1946年7月5日にフランスの母親が経営してた下着会社に勤めてたルイ・レアールが、その小ささと周囲に与える破壊的威力を原爆にたとえ、ビキニと命名して水着を発表した。
"like the bomb, the bikini is small and devastating"と述べた。b0126549_1775275.jpg
発表当時から肌の露出度がかなり高い水着であり、あまりの大胆さから当初はほとんど着用されなかったのだそうだ。
スケベ大国の日本には1950年に上陸したのだが、日の目を見たのは1970年になってから。
中国人とハワイ人の血を引くモデルのアグネスラムがこのビキニ姿で登場、一度にビキニブームが広がった。
おやじ連中、大いに鼻の下を長くしたもんだが...
日本にとってはビキニ環礁の水爆実験被ばくによる悲劇も起こった。
第五福竜丸事件だ。
乗組員が無くなり、大量の被ばくマグロが各地で処分された。
話題の築地市場地下にもいまだ埋もれている被ばくマグロ。
豊洲のベンゼンどころではない放射線汚染の疑いもある。
小さくても大きな影響を与え、残す、面倒なビキニだ。
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# by hanaha09 | 2017-08-13 14:54 | 田舎暮らし | Comments(0)