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あるちゅはいま日記

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大寒

今日は大寒の日だと言うのに暖かい、昼間の温度は+3℃もあった。
下界の佐久では+9.5℃。
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大きくて、寒いと書く「大寒」は二十四節気の一つ、冬では一番寒いと言われているのだが。
この二十四節気、春分を基点に黄道を24等分する。
よって、一番寒い時ではなく太陽が黄道の決められた地点を通過する2018年1月20日午後12時9分が大寒の瞬間ということになるらしい。
この寒い時期、節気ならではの習慣がある。
この日に井戸から汲み置いた水は1年間もいたまない。
そして、この水を使っての酒造り、味噌作り。
要するに雑菌が限りなく少ないということなのだろうか?
そして「大寒たまご」。
「鶏始乳(にわとりはじめてとやにつく)」、寒さが底をつく大寒の日、これからは春に向かって一目散。
鶏が卵を産み始める季節なのだ。
大寒の日、今年初めて産んだたまごはとても栄養価が高く、また貴重なもの。
「大寒たまご」を食べればこの一年を健康で過ごせる。
中国の風水的には「金運」が訪れる。
かくして「大寒たまご」はネット販売で30個が2018円。
本日はスーパーでたまごを買った。
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賞味期限が「2018.01.20」となっている。
「大寒たまご」とはちょっと言えないような代物だが...多少の縁起はいただけるかもわからない。
今年の金運を願って卵かけごはんでも食べてみよう。










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# by hanaha09 | 2018-01-20 16:47 | 田舎暮らし | Comments(0)

におい展

東京の池袋では「におい展」なるものが開催され、大賑わいなのだそうだ。
「悶絶」から「美臭」まで50点の臭いが嗅ぎ放題の展示会なのだそうだ。
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世界で一番臭いと言われるイワシの缶詰「シュールストレミング」から始まり、日本お得意の「くさや」、精油1ml数万円と言われる高価な香水の素材まで。
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思いっきりえずきまくる人、涙を拭いながら出てくる人などなど。
なんで匂い、臭いがこんなに人気なのか?
どうも視覚や聴覚や味覚、触覚と嗅覚の伝わる回路の違いにあるというのだ。
嗅覚の回路においては、一度鼻の受容器によって匂いが探知されると、そのシグナルはまっすぐに匂いを分析する嗅球へと運ばれる。
そして扁桃体と海馬という記憶と感情を処理する部位に接続される。
つまり、嗅覚と記憶とが脳の中で結線されていることになる。
よって、匂いは記憶を呼び戻すのに有効。
匂いから思い出される記憶は、より知覚的なものとなる。
特定の感覚を思い出すことが多くなるのである。
そういえば、子供時代の家の湿ったような臭いとか、肥だめ、庭にあった菊の葉の臭いなんかが光景と共に思い出される。
このところの寒さのせいか鼻がずるずる、このあたりの匂いがしなくなった。




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# by hanaha09 | 2018-01-19 13:30 | 田舎暮らし | Comments(0)

「振袖火事」の日

江戸に住んでいた17歳の娘が偶然に見かけた美少年に恋い焦がれてしまった。
彼が着ていた着物と同じ模様の振袖を仕立ててもらい、この美少年を想う日々、つまり今でいう恋の病。
これが原因かどうか、若くして亡くなった。
両親は娘の想いをせめて着物に託そうと棺の上に掛けて、弔いのお寺に送った。
当時、この棺の上に掛けられた着物は寺の小姓がもらって処分をしても良いという習わしがあった。
この想い出の振袖は別の17歳の娘の手に渡り、袖を通しこの娘も間もなく亡くなってしまった。
こういうことがまたも繰り返され、この振袖は3度も同じ寺に運び込まれた。
さすが、なんかの因縁を感じたお寺の住職がこの振袖を供養することとなった。
読経のなか火の中に投げ入れられた振袖は炎に包まれ、風に乗って飛んでいった。
お寺の本堂の屋根に舞い降りた振袖の火は瞬く間に本堂に燃え移り、江戸の町に飛び火して大火となってしまった。
この大火が発生したのが明暦3年(1657年)1月18日の午前10時頃、燃えたお寺は本郷丸山本妙寺。
江戸の55%を焼き尽くし2日後の20日にようやく鎮火した。
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この江戸で一番の被害を出したと言われる「明暦の大火」は別にその原因から「振袖火事」とも呼ばれた。
しかし、「明暦の大火」を記録する資料には17歳の娘たちも美少年も全く出てこない。
一説には本妙寺の隣にあった老中阿部忠秋邸が火元で本妙寺身代わり説だったり、過密スラム化する江戸界隈の改造を目論んだ幕府の放火説、反幕府勢力による放火説などなどがある。
一方で江戸の大火による復旧工事などで全国的な経済の活性化が図られた一面もあり、また反面に幕府財政の圧迫にもつながった。
それと、江戸町民たちが身に降りかかった災害を振袖原因にすり替えてしまう懐の大きさにも関心してしまう話だ。






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# by hanaha09 | 2018-01-18 11:12 | 田舎暮らし | Comments(0)

江戸のスパイス

江戸時代は日本の食文化が花開いた時代だ。
次々へと新しい料理が創作されてきた。
そして、様々な調味料が取り上げられ、使われた。
江戸時代の調味料と言えば和食には欠かせぬ醤油、味噌、塩、酒、昆布等々。
と、思っていた思いもかけぬスパイスがふんだんに和食に取り入れられていた。
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これは胡椒。
江戸時代よりもっと前に日本には上陸していたものだが、本格的に調味料としての主役に登場したのは江戸時代。
炊き立てのご飯の上に胡椒を振り、だし汁をかけた「胡椒飯」。
湯がいたウドに醤油と酒で下味をつけ、その上に胡椒を振りかけた「ウドのたきだし」。
なかなかしゃれた味がしそうだ。
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山椒の実だ。
焼き大根の胡麻山椒あえ、焼いた大根を醤油や味噌で味付けし、ゴマと山椒をあわせる。

リンゴにゴマと山椒を振った、リンゴ胡麻山椒。

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最後はシナモン。

白味噌にミリン、ゴマ、シナモンを入れて練り、茹でた大根をからめた、利休あえ大根。

実に驚くべき独創的で斬新な和食調味料の使い方だ。

江戸の町にミシュランがやって来れば5つ星もの間違いなしだ。






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# by hanaha09 | 2018-01-17 23:07 | 田舎暮らし | Comments(0)

江戸時代の手打ちそば

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「佐久の草笛」、入口を入ると蕎麦の手打ち作業が見られる。
ここの蕎麦は普通盛りでも充分に食べごたえがある、こんな大盛りを注文すると大変なことになる。
今でいう手打ちとは、製麺機などの機械を使うことの無い手作業で丹念に打たれた蕎麦。
しかし、江戸時代半ばを過ぎたころの天明7年 (1787年)に刊行された江戸買物案内書「七十五日」には、「手打ち」を名乗るそば屋がずらりと紹介されている。
収録された五十数店のそば屋のうち約半数が「手打ち」ないしは「手打生蕎麦」を名目として揚げているのだ。
この時代にそばを打つ製麺機なんてものはない、蕎麦屋すべてが手打ちのはずだ。
実はこの時代、そば屋が江戸中を席巻しつつあった時代、そば屋間の競争も結構厳しいものがあったと考えられる。
「蕎麦全書」が書かれた寛延四年(1751年)、同書によれば、当時はまだ、そばを商っていても「うどん屋」と呼ばれる店が結構あったことが記されている。
つまり、つなぎ(小麦粉)の割合の問題、普通は二八蕎麦と呼ばれる蕎麦粉八、小麦粉二の割というのが、蕎麦粉一、小麦粉三などという粗悪で蕎麦の味のしない蕎麦が巷に出回ることとなってしまっていたのだ。
こうした風潮に対抗する、「生蕎麦」という文字通りつなぎに小麦粉を使用していない蕎麦粉だけという意味の「手打ちそば」を掲げる蕎麦屋が登場したのであった。
まさに、蕎麦粉だけを使用した本物の蕎麦、 小麦で繋げず、手で繋ぐうち方高級「手打ちそば」だったのだ。














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# by hanaha09 | 2018-01-16 19:34 | 田舎暮らし | Comments(0)

江戸は混浴の時代

おっさんが女風呂に入って警察に捕まった。
このおっさんは捕まる最後まで「私は女!」と主張したそうだ。
一体なんの罪に問われたんだろうね(建造物侵入の疑いだそうだ)。
時代はさかのぼって、江戸の銭湯は混浴、全国共通だった。
「寛政の改革」をはじめ何度か「風紀が乱れる」という理由から混浴禁止令も出されたようだ。
しかし、男湯・女湯に分けるのは経済的に難しいなどなど、様々な理由を並べながら、やれ禁止、また復活とのらりくらりの混浴時代が続いた。
中にはワルサをはかる男たちもいたようだ。
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若い娘さんなどには母親やおばさんたちが鉄壁のガードでスケベな男たちから守った。
威勢の良いおかみさんなどは触られるようなら怒声を浴びせかけたそうだ。
ところが、明治に入ると厳重な取り締まりで銭湯の混浴を禁止、そして混浴風呂は絶滅に至った。
江戸の文化を否定したかった明治政府の方針だった。
とはいえ、東北などの地方の湯治場などではまだまだこの混浴、盛んだったようだ。
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捕まったおっさん、生まれて来る時代と場所を間違った...










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# by hanaha09 | 2018-01-15 13:48 | 田舎暮らし | Comments(0)

小宿隧道の地蔵尊

天明3年、浅間山の大噴火と共に生じた土石なだれが鎌原村を埋め尽くした。
1億m3ともいわれる大量の土砂は吾妻川に流れ込み、泥流となって下って行った。
そのまま流れていったのではなかった。
吾妻川にあるいくつかの狭さく部で大量の泥によって流れが塞がれ自然のダムとなった。
まず、芦生田のすぐ下流にある峡さく部でこのダムが出来、堰き止められた水や泥が芦生田集落を流れる支流の小宿川を逆流した。
芦生田集落をはじめ、小宿川上流1.5kmほどにある常林寺、小宿集落を丸のみにしてこの泥と共に流し去ってしまった。
この自然ダムは水が貯まると容易に決壊し、泥水は異常な速度で下って行った、まるで津波の様だったという。
小宿村は高台にあった村社を除いて壊滅した。
生き残った者は4名、二人は常林寺のお坊さんで他所へ法事に出かけていた、あとの二人は当日浅間山の激しい爆発音で中止になった祭りの後片付けをしていた高台の二人であった。
現在の高台にある小宿村集落と少し下流に再建された常林寺。
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そして、昭和46年国鉄嬬恋線として工事が進められていた長野原ー大前間、今の吾妻線が開通した。
自然ダムが出来た吾妻川狭さく部は長さ700m強のトンネルが新に掘削された、小宿隧道だ。
掘削工事が進んでいた昭和43年4月、土砂崩れが起こりに二人の工事関係者が亡くなった。
そしてその7月、事故現場近くのトンネル出口より80mほどのところから頭の半分かけた石仏が土石に交じって発見された。
その石仏が現在もトンネル出口上部の村道脇に祀られている。
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工事にあたった日本鉄道建設公団により殉職者の慰霊と鉄道の安全を祈念して設けられたものだ。
この石仏はいったいどこからやってきたものだろうか?
当時の工事関係者の話によると、この石仏と一緒に丸い川原の石が大量に出土したのだそうだ。
どこぞやの街道筋に置かれていた石仏が土石なだれと共に流され、吾妻川に流れ込んだ。
自然ダムによって川原の丸い石と共に逆流、このあたりの地層の割れ目に押し込まれたのでは...と言う推測ができる。
トンネルの出口の手前にかかるのが吾妻川より大量の泥流が逆流した小宿川の橋梁だ。
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吾妻線の草津長野原口を最後に嬬恋村大前の間の4駅はいずれも無人駅となった。
いつ廃止の声が出てきてもおかしくない。
1時間に1本の電車、今日は珍しく出会った。
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# by hanaha09 | 2018-01-14 18:02 | 田舎暮らし | Comments(0)

湯尻川スノーシュー

この冬初めてのスノーシューに出かけた。
と言っても、休暇村にある湯尻川散策道の雪散歩。
出発点は村上山を望む休暇村駐車場。
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休暇村建物の裏側を山の中へ。
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村上山登山道へは行かずにまっすぐ清流の小路方面へ、正面の山は桟敷山。
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東側の山の斜面のカラマツ林、整然と並んで間伐されている。
この国有地のカラマツ林、モデル伐採地区なのだそうだ。
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もう少し進むと、道の途中に変な土塁のようなものがある。
これは昔ここにあった「田代牧場」の柵があった跡だそうだ、どちら側に牧場があったかよくわからん。
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階段があるのだがスノーシューでは歩きにくいので急な斜面を降りていく、が、すってんころりん。
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そして湯尻川の清流に降りてゆく、キツネやイタチやウサギやらの足跡が点々と。
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スノーシューはこれ。
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出発点に近い東屋でコンビニで買った390円のアツアツてんぷらうどん。
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帰りには嬬恋村発行の温泉券(50枚で5千円)でまたまた誰もいない雲井の湯。
ぬくぬくと温まって帰るともう夕方。
本日は合計490円で過ごした休日でありました。



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# by hanaha09 | 2018-01-13 17:14 | 田舎暮らし | Comments(0)

関所破り

嬬恋村を通過する信州街道、この辺にはやたらと関所が多い。
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大笹の関所。
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狩宿の関所。
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大戸の関所。
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徳川幕府は江戸の治安を守るため、また諸藩の人質とした諸侯の妻や家族の出奔を防ぐ策をたてた。
主要街道筋には関所を設け、江戸に出入りをする者は必ずこの関所を通る必要を命じた。
「入り鉄砲に出女」と言われ、危険な鉄砲などの所持品、通行人(特に女性)が厳しくチェックされたのだ。
関所破りは重罪、磔(はりつけ)の刑にされるということが「御定書」に書かれている。
武力で強引に関所破りをするものもいたようだが、関所破りの多くは関所が置かれている街道を通らずに、暗い夜に関所を避けた山道を抜けていった。
ザルのような関所であったが、なんで関所破りがばれてしまうのか?

大方のケースは密告、いわゆる告げ口であったそうだ。

宿に泊まるときの宿帳におかしな点があったり、配られてきた手配書に人相が似ているなどということで、これは怪しい、ということになる。

しかし、江戸時代をとおして実際に磔の刑になった関所破りの人数は、わずか5、6人だったといわれている。

最も有名な一人が大戸の関所破りで磔の刑に処された国定忠治だ。

最もこの忠治は殺人犯で指名手配中だった。

いつの時代でも役人への贈収賄は無くはならないもので関所も例外ではなかった。

賄賂を渡すことで通行手形を持たなくても関所を通してくれることもあった。

特に女性の取り調べは細かで、時には真っ裸にされることもあったらしい。

それでまっとうな通行手形を持っていても賄賂が効果を醸し出すこともあったようだ。

この賄賂システムもいろいろ考えられ、近くの賄賂を渡した宿屋の使用人と偽って楽々関所を通過という方法も。

賄賂は当然関所役人にも還元されることになる。

また、近くの百姓たちは抜け道案内でちゃっかり小銭を稼ぐこともあったそうだ。

今でいう地域経済活性化の役目も果たすことにもなった、平和な時代の関所だった。









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# by hanaha09 | 2018-01-12 17:01 | 田舎暮らし | Comments(0)

懐炉

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寒波到来で冷え込んだと思ったらまた雪だ。
冷え込んだ江戸時代、ろくな暖房器具もなく、着るものも薄着、さぞ寒かろう。
と思ってたら江戸の庶民はそれなりに工夫をしたようだ。
温石(おんじゃく)というものがあった。
滑石などの石を火鉢などで温め、真綿等にくるんで懐中に潜ませた。
どのくらい暖かさが続いたんだろうか?
何度も使える優れものだ。
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そして驚くのがこの懐炉、江戸時代の物とはちょっと違うが元禄の頃に誕生したのだそうだ。
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子供の頃に「楠灰」なんて書いた箱を良く見かけた、300年たった今でも売ってるんだそうだ。
この懐炉は木炭灰粉末に保温力の強いナスの茎などの灰を混ぜたものを和紙などに包んだものを燃料として使った。
これに火をつけて通気口の開いた金属製の容器に入れて携帯した。
木炭粉末から麻殻を蒸し焼きにした懐炉灰などに変わっていったが原理は一緒。
江戸時代の驚異的な発明であった。
そして、なんといっても寒い外で暖を取るにはこれ。
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街道筋では焚火があちこちで焚かれていた。
煙草の一服用としても役立った。
最後は囲炉裏の前のこの御姐さん、どこを温めてるんだろうかねぇ。
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# by hanaha09 | 2018-01-11 17:01 | 田舎暮らし | Comments(0)